予算委員会で初めて質問。テーマは、長時間労働の上限規制。
政府は36協定による上限時間を月45時間、年360時間とするといいながら、「臨時的で特別な事情」がある場合には年間720時間(月平均60時間)まで延長できるとする、いわば例外の例外を計画。そのなかで、繁忙期には80時間とか100時間という過労死ラインの働き方を合法化しようというのです。
なぜ、例外の例外を認めるのか。
月45時間は、医学的な根拠のある数字です。過労死認定基準についての専門検討会は、①長時間労働、睡眠不足が疲労の蓄積をもたらし血管障害などをもたらす、②疲労の蓄積を解消しもっとも健康的といえる1日の睡眠時間は7〜8時間である、③7〜8時間の睡眠時間を確保するには、残業は1日2時間、月45時間程度が限界であるーーこう結論づけています。健康確保のための45時間という数字。
ところが、答弁に立った労働基準局長は、②と③を説明し①を述べようとしない。なんどか応酬の末、ようやく①を述べました。そんなに隠したいことなのか。
月45時間にはこういう根拠がある一方、政府が示す年720時間(月平均60時間)にはまともな根拠がない。ましてや平均80時間やひと月100時間を合法化することには、なんの正当性もありません。
私が特に問題だと思うのは、政府が労使合意を前提にするといい、経団連と連合との「合意」に依拠する姿勢であること。「合意」があれば過労死するまで働かせてよいのか。しかもこの「合意」は、経団連が過労死ラインか青天井のままかと迫った、脅しでしかない。経団連の役員企業の多くで80時間を超える36協定を結んでおり、榊原会長の東レでは月100時間、年900時間もの残業をさせる協定となっています。その榊原氏が「妥当」だという100時間。結局、これらの企業で超長時間の時間外労働が温存されることになります。
塩崎大臣、「45時間以下にする努力がされる」と言うが、努力ならいまだって求められています。厚労省も指導することになっている。それでも過労死が減らないから問題なのに、過労死ラインを合法化するとは、なんらの前進とも言えないではないか。
電通の過労自死で亡くなった高橋まつりさんのお母さん、幸美さんは、「納得できません。人間のいのちと健康にかかわるルールに、このような例外が認められていいはずがありません。繁忙期であれば、命を落としてよいのでしょうか」とコメントしています。
この声をどう受け止めるかという問いに、塩崎大臣はろくに答えようとしませんでした。その姿勢は、私はそのままにしてはならないと思う。
計ったわけではないのですが、13日に経団連と連合とが「繁忙期は2〜6か月の平均80時間、1か月100時間」について合意し、17日には次の働き方改革実現会議が開かれる予定というタイミングでの質問に。
私の前には吉良さんが森友学園・塚本幼稚園での教育について、大阪で聞き取りをされた結果も踏まえ追及。
いずれにしても、大臣の答弁がとにかくひどい。命を軽んじる政治が浮き彫りになったのではないかと思います。