72年目の広島の日。
私は東京で、テレビで平和記念式典を見ながら迎えました。真夏の日差しは、72年前のあの時も同じようだっただろうと、毎年思います。その空の下に、どれだけの一人ひとりの朝があったか。
国連で核兵器禁止条約が採択され、世界が核兵器の違法化へ重大な一歩を踏み出そうとするなか、ボイコットした日本政府です。
演説で条約に触れなかった安倍首相。語る言葉を持ち合わせなかったからでしょう。代わりに口にしたのは、核兵器のない世界のために「国際社会を主導していく」と白々しい言葉。しかし、では何をするのか、なんら示せない。
核の傘にしがみつき、抑止力をふりかざす者こそ、国際社会の脅威にほかならない。そこに正義はないからこそ、核兵器の「使用の威嚇」をも禁じる条約となっています。力でねじ伏せる平和は、もはや時代遅れ。
アメリカのご意向を忖度し、というよりアメリカと一体となって「核による平和」をうそぶく安倍政権に、国際社会を主導する力はない。世界はそんな主導者を求めていないし、従わない。
広島市の平和宣言は、「私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、『絶対悪』である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います」と結んでいます。誰にも否定できないこの仕事は、しかし安倍政権のままでは、決して前に進まない。