2021年・第204通常国会
- 2021年5月6日
- 法務委員会
法務委員会で、少年法改正案について参考人質疑
- 要約
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- 法務委員会で、少年法改正案について参考人質疑。 少年院では「内省」という、壁に向かって黙想する時間がある。自分の罪と向き合い、心から反省しないと、処遇は繰り返し延長される。 今回の改正は、入所時にあらかじめ上限が決められる。これでは更生は望めない。 などの意見が語られました。
○参考人(橋爪隆君) おはようございます。
ただいま御紹介いただきました東京大学の橋爪と申します。専門分野は刑法でございます。本日は、このように参考人として意見陳述をする機会をいただきまして、大変光栄に存じております。
私は、法制審議会少年法・刑事法部会の委員として、少年法改正をめぐる審議に参加いたしました。本日は、部会における議論を踏まえて、若干の意見を申し上げたいと存じます。A4で一枚、表裏の資料をお配りしておりますので、それに即して進めてまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
まずは、前提といたしまして、今回の少年法改正の概要について確認しておきたいと存じます。
まず、十八歳、十九歳の者、すなわち、公職選挙法の改正によって選挙権が認められ、また民法改正によって民法上の成年となり親権者の監護、教育を離れた者についても少年法の適用を肯定すべきかが問題となりますが、改正法では、少年法の適用年齢を引き下げず、十八歳、十九歳の者も少年法の適用対象としつつも、特定少年という新たな類型を設けて、その取扱いに関する特例を規定しております。
具体的には、①ですけれども、特定少年、すなわち十八歳以上の少年の保護事件についても、全件を家庭裁判所に送致する全件送致主義を維持した上で、原則として家庭裁判所から検察官に送致すべき事件、いわゆる原則逆送事件の範囲を拡大しております。すなわち、現行法二十条二項によれば、犯行時十六歳以上の者が故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件は原則として検察官送致をするとされておりますが、改正法案六十二条二項では、これに加えて、死刑、無期又は短期一年以上の懲役、禁錮に当たる罪の事件であり、行為当時、行為者が十八歳以上であった場合を原則逆送事件の対象としております。これによって、強盗罪、強制性交等罪、現住建造物等放火罪等の犯罪も原則逆送事件となります。
②番ですが、検察官送致された事件、場合も、少年の刑事事件については特別な取扱いをする規定がございますが、特定少年については、これらの特例の適用が原則的に排除されております。例えば、少年について、有期の懲役、禁錮を科す場合には、刑の長期と短期を言い渡し、その範囲で刑を執行する、いわゆる不定期刑の制度がございますが、特定少年にはこれが適用されません。
さらに、少年が家庭裁判所で保護処分を受ける場合にも、特定少年については、犯情の軽重を考慮して相当な限度を超えない範囲を上限として保護処分に付されます。これは、保護処分について、いわゆる責任主義、すなわち犯罪行為の際の行為責任を上限として処分を科すべきという原則が妥当することを意味します。これによって、虞犯少年は、将来犯罪を犯す危険性があるとはいえ、既に犯罪を犯したわけではなく、行為責任を負うものではないことから、特定少年に関する保護処分の対象からは除外されております。
最後に、少年事件に関する推知報道を禁止する少年法六十一条につきましても、特定少年のときに犯した事件について公判請求が行われた場合にはこれを適用しない旨の規定が設けられております。
このような改正法の概要につきまして、以下、意見を申し上げます。
今回の法改正の契機は、御承知のとおり、公職選挙法及び民法の改正を契機とするものであり、十八歳、十九歳の少年の行動やその実態の変化に基づくものではございません。したがいまして、十八歳、十九歳の者が生物学的にも社会的にも成長過程にある未成熟な存在であること、そして、万が一非行に走った場合にも、再犯防止、健全育成の可能性を十分に尊重し、重点的な働きかけが必要である点につきましては、一切変わりはございません。また、民法や公職選挙法の年齢要件が改正されましても、年齢要件は個別の法律の趣旨に従って検討すべきでありますので、少年法の適用年齢を直ちに引き下げることが必然というわけではありません。
しかし、民法や公職選挙法の改正の趣旨が、一定の範囲で少年法の適用可能性に影響を有することも事実です。すなわち、民法改正によって、十八歳以上の者は親権者の監護、教育に服さず、自律的な意思決定が可能な主体として扱われております。このことは、少年法の保護処分の在り方にも大きな影響がございます。
と申しますのは、現行法の保護処分は、少年が犯罪等の問題行動に出た場合には、親権者の監護、教育が十分に機能していないと評価して、言わば国家が親代わりとなって後見的、補充的に少年に介入し少年を保護する制度として理解されております。しかしながら、民法の改正によって、十八歳、十九歳の者は親権者の監護、教育を離れます。したがいまして、国家が親代わりに介入するという発想はその前提を失ったと言えます。すなわち、十八歳、十九歳の者について、その健全育成を支援する必要があるとしても、従来の少年法の保護処分と全く同じ原理原則で対応することは民法の改正によって困難になったと言わざるを得ません。
また、公職選挙法の改正も、十八歳、十九歳の者が国政に参加する主体として責任ある立場で社会に参加することを要求するものと言えますので、論理必然的ではありませんが、これらの者が犯罪を犯した場合にも、社会的な期待の変化を一定の範囲で刑事司法制度に反映させる必要があると言えます。
このように、十八歳、十九歳は、未成熟で可塑性に富んでおり、重点的な働きかけが必要であるという意味においては二十歳以上の者と区別されるとともに、他方において、今回の民法、公職選挙法の改正によって、後見的、補充的な観点からの権利制約を正当化することが困難であり、自らの行為責任に対応した処分を受けるべき主体になったという意味において、十八歳未満の者とも区別される存在になったと言えます。
このような意味において、十八歳、十九歳の者には中間層、中間類型としての評価を与える必要があります。そして、このような中間層、中間類型については、少年法の適用対象にとどめた上で一般の少年と区別した特例を設けるのか、あるいは、少年法の適用年齢を引き下げた上で十八歳、十九歳を対象とした新たな特別法を設けるか、二つの選択肢があり得るところであり、今回の改正法案は前者の方向性を選択したものと言えます。
私個人は、十八歳、十九歳の者に対しては、後見的、保護的な介入が困難であることに鑑みれば、むしろ後者の方向性を選択し、少年法の適用年齢を引き下げた方が理論的には明快だと考えておりました。ただ、仮に少年法の適用年齢を引き下げたとしましても、十八歳、十九歳が未成熟であり、特別な対応が必要である以上、やはり家庭裁判所の人的資源やノウハウの蓄積を活用して、改善更生、再犯防止に向けられた必要な処遇を効果的に実施することが必要となりますので、仮に特別法を設ける場合でも、その手続や処分の内容については大幅に少年法の規定を準用する必要が生じますので、条文の規定形式がかなり複雑になります。
このような意味においては、十八歳、十九歳の者を少年法の適用対象として、少年審判手続の対象であることを明示しながら、保護処分の内容や刑罰の刑事責任の在り方については一般の少年とは違った特例を設けるという改正法の方向性は、立法政策として一定の合理性があるものと評価できます。
裏面に参りますが、以上の評価を前提に、特定少年に関する特例の内容について若干の意見を申し上げたいと存じます。
まずは、原則逆送事件の拡大です。原則逆送事件については、保護処分よりも刑事処分を優先するようなことになりますので、少年法における原則と例外が逆転します。このように、刑事処分を原則とすべきかの判断は、その主体が刑事責任を負うべき法的地位にあるか否かによって変わってくると思われます。論理必然ではありませんが、十八歳、十九歳に対する法的評価の変更に伴い原則逆送事件の範囲を拡張することには、十分にあり得る政策判断であると思われます。
この点につきましては、改正法案では、強盗罪や放火罪等も原則逆送の対象となるが、これらの犯罪の中には必ずしも悪質とは言えないような行為も含まれており、これを検察官送致の対象とすることは適当ではないという批判があるところです。もっとも、強盗罪も現住建造物等放火罪も、いずれも人の生命、身体に対する危険性をはらむ重大な犯罪でございます。また、改正法案は、これらの事件を全て検察官送致する義務を課しているわけではなく、改正法案六十二条二項ただし書において例外が設けられております。例えば、強盗事件につきましても、被害の軽微性等を考慮して検察官送致を行わない決定は十分に可能でございます。
さらに、十八歳、十九歳の者に対する法的評価の変更は刑事事件に関する特例の適用の排除にも反映されております。これも論理必然ではありませんが、特定少年に対する法的評価や社会的な期待の変更に伴い、一定の重大事件を犯し、刑事処分を受けるべき場合についてまで少年の健全育成を重視した特別な取扱いを維持することは困難であるという価値判断が示されたものと言えます。
他方、家庭裁判所において少年を保護処分に付す場合にも、特定少年に対する保護処分は行為責任が上限となることが明確に示されており、一般の少年の保護事件とはその根拠が変わっております。現在、現行法の少年法の保護処分は、少年の要保護性、すなわち少年に再犯を犯す危険性があり、保護処分によって矯正可能性があることを根拠に科されております。したがいまして、極端な例ではありますけれども、極めて軽微な犯罪であっても、本人の犯罪性が根深く、長期間の矯正教育によって初めて矯正可能であるという場合については、少年院に収容することも可能であります。これは、国家が親権者の代わりに後見的、補充的に介入するという保護処分の性質から導かれる帰結と言えます。
しかし、民法改正によって、特定少年は親権者の監護、教育に服していないわけですので、国家による後見的介入を正当化することは困難であります。したがって、特定少年に対する保護処分は、刑罰と同様、行為責任によって上限を画した上で、その範囲内で少年の要保護性を考慮して決定すべきとなります。特定少年に対する保護処分も、再犯防止、健全育成を目的とする点については変わりありませんが、責任主義と両立する限度でこれらの目的が追求されているわけです。これは、十八歳、十九歳の者の法的地位の変更の必然的な帰結と言うべきです。
最後に、推知報道の禁止の解除でございます。
推知報道の禁止は、少年の社会復帰を支援する目的で報道の自由を例外的に制限するものであり、少年の社会復帰、健全育成が報道の自由よりも優先されるべきであるという価値観を前提として正当化されます。そして、十八歳、十九歳の者に対する法的評価や社会的な期待の変化に伴い、重大な刑事事件については、こういった価値観が後退するとして、推知報道禁止の解除を正当化することも可能であろうと考えます。
この点につきましては、少年法五十五条によって家庭裁判所移送決定の可能性があることから、事後的には保護処分の対象となる少年について推知報道を認める可能性があり、問題があるという批判がございます。もっとも、家庭裁判所によって検察官送致決定が行われ、さらに検察官によって公判請求がなされた事件は、言わば二重のフィルターによって選別が行われておりますので、終局処分の確定いかんにかかわらず、この段階で推知報道の禁止を解除することにも一定の合理性があるように思われます。
私の意見は以上でございます。御清聴、誠にありがとうございました。
○委員長(山本香苗君) ありがとうございました。
次に、川村参考人にお願いいたします。
○参考人(川村百合君) 弁護士の川村百合と申します。本日は、意見陳述の機会を頂戴し、ありがとうございます。
私の経歴の詳細は履歴書をお配りさせていただきましたので、本日の意見のベースになる点に絞って御説明させてください。
私は、平成九年に弁護士登録をして以降、一貫して子供の権利擁護活動に携わってきました。子供の権利保障を実現するためには、様々な分野を横断した活動が必要となります。そのため、私が実践してきた子供の権利擁護活動は、福祉分野、教育分野、少年司法の分野、少年矯正の分野にわたり、さらには、少年矯正の分野と児童福祉の分野の架橋、橋渡しをすることもあります。そのような経験を踏まえて、私は今般の少年法改正法案には反対です。なぜなら、現行の少年法は、少年の非行防止、将来の犯罪予防という観点から極めて有効に機能していると評価されているため、これを改正すべき立法事実がないからです。
今回の改正を厳罰化と評することがあります。私は、必ずしも、厳罰化だから今回の改正案に反対しているのではありません。刑罰化に反対しています。刑罰化に反対するのは、少年の更生、再非行予防により効果があるのは刑罰よりも保護処分だからです。
少年法が予定する保護処分は甘いと誤解されることがあるのですが、保護処分は決して甘いものではありません。少年院では、一日中教育的働きかけの対象とされ、全人格的な成長、発達を期待して、少年の内面にまで立ち入って内省を求めるという教育をします。被害者に対する贖罪意識を醸成する教育、決して表面的ではない、真の反省に至ることができるような働きかけをします。刑務所での懲役刑は反省していようといまいと満期になれば出所できますが、少年院ではいまだ教育的効果が不十分だと判断されれば収容期間を延長することも可能です。
厳罰化という意味では、私自身は反対していましたけれども、二〇〇〇年以降に重ねられた少年法改正により、重大事件についての厳罰化はとっくになされています。人の死亡という結果が生じている事件を重大事件というならば、今回の改正は、重大事件ではない比較的軽微な犯罪までを原則逆送の対象に含めようとするものです。そのため、逆送後、起訴されても、初犯だからと執行猶予が付いて社会に戻されることが多くなるでしょう。現行法の下では少年院に送致されるような少年たちが、今後は、何らの教育も支援もなく社会に戻されることになります。非行少年たちが社会の中に放置されるということです。それは社会にとって利益になりません。
十八、十九歳の非行少年はどういう少年なのかということを御理解いただきたいのですが、十八、十九歳の子供は、非行少年ではない一般の子供の平均的なレベルであってもまだ心身の成長発達の途上であり、まだまだ成長発達が見込まれる年齢ですが、とりわけ非行少年の多くは、虐待家庭や貧困家庭など、ハンディのある生活、生育環境の中で育ってきています。中には、先天的な資質上のハンディ、すなわち発達障害や知的障害などがあるにもかかわらず、専門的な治療や療育を受けられなかった子供もいます。そのような背景を持って非行に至ってしまった少年の多くは、年齢に比して人格的発達、精神的発達、知的発達などが未熟あるいは劣っている子たちなのです。それは少年鑑別所で行われる知能テストや心理テストの結果からも明らかです。
不適切な養育環境で育ってきたがために非行に至ってしまうような少年は、本来、非行に至る前に児童相談所に適時適切に保護されるべき要保護児童でした。しかし、実際には児童相談所が適時適切に保護しなかった子供たちです。また、親が不適切な養育をしているのは、必ずしも邪悪な意図を持ってやっているわけではなく、親自身の病気や知的なハンディや貧困など、様々な理由があって養育能力が不足しているということもあるので、親に対しても福祉的な支援が必要だったのにされていなかったということが少なくありません。すなわち、非行に至る少年とその家族は、社会の中のセーフティーネットからはじかれてしまった親子あるいは家族だということが言える場合が多いのです。
ここで、改めて少年法の理念について確認しておきたいと思います。少年法一条には健全育成と書いてありますが、これは、我が国が一九九四年に子どもの権利条約を批准する前の古い用語です。子供を人権や権利の主体として考える子どもの権利条約にのっとって少年法一条の理念を現代的に捉え直すならば、それは子供の成長発達権保障と読み替えるべきであると最近の少年法の基本書には書いてあります。そして、非行は、成長の過程において虐待やいじめの被害に遭ったり、貧困、差別などの生育上の困難を抱え、成長発達権が十分に保障されてこなかった子供たちのSOSと言える場合が多いのです。したがって、非行という形で発せられたSOSを契機として、改めて少年の成長発達権を保障し、育て直しをするために選択されるのが少年法上の保護処分であるということになります。
このような理念に基づいて少年法が採用しているのは、科学主義です。科学主義とは、非行の原因を人間諸科学を駆使して解明し、要保護性を図り、再非行、再犯予防の観点から、必要な処分の要否や種類を選択するものです。少年の資質上の問題ないしハンディは、少年鑑別所で心理テスト、行動観察、医師の診察などの心身鑑別を行うこととされています。また、家族関係や交友関係等の環境上の問題は、家庭裁判所調査官が社会調査を行うことになっています。このように、科学主義にのっとって審判が進められ、処分を決められることにより、成人の再犯リスクより少年の再非行リスクは低く抑えられてきました。さらに近年、脳科学の発達により、幼少期からの不適切な養育が脳を萎縮させたり損傷させたりすること、一方で、受容的な育て直しによって、二十五、六歳ぐらいまでは脳が変化することも分かってきました。
一九四八年に少年法が制定された当時の医学の力では、まだ脳の中まで見てそれを性格や行動に結び付けることはできませんでしたが、でも、先人たちは、経験に基づいて、少年たちには可塑性、変化する可能性があることを知っていました。そのため、第三種少年院、これは以前は医療少年院と呼ばれていたものですが、そこでの処遇は、家庭裁判所の収容継続審判を経れば満二十六歳に達するまで延長することができるのです。
このような少年法の仕組みが正しかったことを裏付ける最新の脳科学の知見が知られるようになったのに、それに逆行するような実質的な少年法適用年齢引下げになる制度改正を今なぜする必要があるのでしょうか。
今般の改正案の問題の第一は、原則逆送対象事件の拡大です。
新たな原則逆送対象事件として、強盗、強制性交、現住建造物放火、それから、いわゆる振り込め詐欺等、特殊詐欺も、単純な詐欺罪で立件されるのではなく組織犯罪処罰法を適用して立件されると、短期一年以上の犯罪となります。これらの犯罪は一見するとおどろおどろしい罪名のように聞こえるかもしれません。しかし、非行に至った原因を探ってみると、例えば強盗は、家庭で虐待を受け家出した少年が、おなかがすいてコンビニでおにぎりを盗んだら警備員にとがめられて、逃げようとした際に警備員を突き飛ばしたというような事案もあります。強制性交、放火、特殊詐欺、それぞれの具体例の説明は割愛いたしますが、いずれも少年の資質上あるいは生育上のハンディが背景あるいは原因にあって非行に至っているという典型的な少年事件、少年事件らしい少年事件と言うことができます。
にもかかわらず、原則逆送対象事件を拡大し、犯情重視、結果重視となると、家裁調査官の調査が弱体します。そして、調査、審判が変質するでしょう。二〇〇〇年に十六歳以上の少年の重大事件について原則逆送規定が創設されたときも、少年法の理念は変わらないと立法提案者は言っていました。しかし、実際には二〇〇〇年以降、調査官調査は弱体化、変質化しています。この犯情という概念は刑事裁判的なものです。それを少年法に持ち込むことは、少年法が採用する科学主義、処遇の個別化、教育主義に反します。犯情の軽重を重視するということは、非行原因の個別性を無視して、量刑相場にのっとり、応報刑にシフトするということになります。しかし、これでは再非行、再犯防止にはならないのです。
次に、実名推知報道の解禁は少年の更生及び社会復帰を妨げるものです。
そもそも法案では、逆送後起訴されたら実名推知報道解禁となっています。しかし、起訴されても無罪になる可能性はあります。憲法上の大原則である無罪推定の原則からしても、起訴されたからとして実名報道を解禁するのは大いに問題があります。しかも、少年の場合は、起訴後に刑事裁判を受ける中で家裁の審判に戻される可能性があります。にもかかわらず、起訴されたからといって報道されてしまえば、インターネット社会ではどんどん情報が拡散しますから、後に無罪になったり家裁に戻されたりしたとしても、取り返しが付きません。また、有罪になって刑に服した場合、残念ながら今の日本の社会では前科者に対して極めて冷たいです。
したがって、実名推知報道がされた情報がネットで検索して発掘されてしまうと、社会復帰は困難になります。とりわけ就職は困難になります。その結果、非行少年の人生がやり直しが利かないというだけでなく、被害者や遺族の方に対して一生懸命働いて損害賠償をしようにもそれができないということになります。それは被害者の権利を保障することにも反するのではないでしょうか。実名報道されないから少年が悪いことをするという言説があるようですが、それは非行少年たちの実情と乖離しています。
また、職業制限、資格制限についての特例がなくなることも、就ける職業に制約ができて少年の社会復帰を困難にします。これも実名報道と同じく、少年が社会復帰して働いて収入を得られるようにならないと、結局は被害者への損害賠償もできなくなるということにつながります。
もう一つ、十八、十九歳の虞犯少年が保護処分の対象から外れたことは、厳罰化とは逆のベクトルですが、要保護性があるのに放置されるという方向であり、大問題であると考えます。
虞犯少年というのは児童福祉と司法の端境にいる少年たちです。児童福祉行政がその責任を全うできなかった少年たちです。現状、少年院が最後のセーフティーネットになっています。ところが、虞犯が保護処分の対象から外れるとどうなるでしょうか。特殊詐欺などをして生きる、体を売って生きるというような人生になってしまいます。これは将来の犯罪の増加につながります。
以上のとおり、非常に有効に機能していると評価される法律をいじり、実質的に少年法の適用年齢を引き下げるということは改正ではなく改悪であり、百害あって一利なしと言えます。
最後に、被害者の権利保障を拡充すること、実効性あらしめることの必要性について申し上げます。
犯罪被害者やその御遺族の中にもいろいろなお考えの方がいらっしゃいますが、中に少年法適用年齢引下げを望んでいらっしゃる方がいらっしゃるのは承知しています。被害者や御遺族に対して本日の私の意見を押し付けようとは思っていません。ただ、国の制度はどうあるべきかということを考えるときには、犯罪被害者の権利保障と少年の権利保障は対立するものと捉えるべきではなく、それぞれの権利保障を両方とも実現するということが必要だと思います。願わくは、犯罪被害者を生まない社会をつくりたいと思います。
少年非行の背景にある、虐待、いじめ、貧困、差別、これらは私たち社会の病理であり、解決しなければならない問題です。でも、解決できていない現実があります。その現実の中で社会の病理の被害に遭っている少年たちがいる、被害者だった者が犯罪の加害者になるという悪循環があります。非行という形でSOSを出した少年が引き起こしてしまった犯罪被害について、一人少年の責任に負わせるべきではなく、私たち社会全体が一人の人間の成長発達権を保障することができなかった非をわびて、責任を分かち合うべきだと考えます。
以上です。ありがとうございました。
○委員長(山本香苗君) ありがとうございました。
次に、大山参考人にお願いいたします。大山参考人。
○参考人(大山一誠君) よろしくお願いします。
今日は、神奈川県から来た大山一誠です。現在四十二歳です。自営業です。仕事は水道の仕事を十九年やっています。国家試験にも合格し、茅ケ崎市の上下水道指定工事登録店をしています。
私は、二十五歳の頃から少年院での講話をしてきて、運動会や盆踊り大会の行事にも参加し、そのたびに少年たちに頑張れよと声掛けし、固い握手をしてきました。出院後の少年と関わることもありました。二十か所に及ぶアメリカの刑務所やNGOなどの民間団体の視察で、二度にわたり渡米もしました。現在、妻子いる身なので、静かに生きたい、そう思えば今回の少年法改正を黙って見ていればいいのですが、これまで会った少年らに顔向けができません。そういう思いで今日は来ました。
私は、まさに今議論されている十八歳から十九歳の頃に少年院に入っていました。
私の両親は沖縄県の出身者で、父は本島北部の小さな部落、母の両親は奄美大島と徳之島の出身で、母方の祖母は本土の人と区別するため一文字姓を名のらされていました。私は両親が上京したときの子供で、弟がおなかにできたとき、両親は沖縄へ帰ります。両親の間でいろいろとあって、私が三歳の頃、離婚します。乳飲み子の弟と私を連れ、母は姉さん夫婦を頼り、再度上京します。それからが地獄の始まりでした。
着るものはいとこのお下がり。電気、ガス、水道は止まり、次の母の給料日まで止まったまま。食事もろくになく、抜きになるのも日常的にあり、学校や、いとこの家に行ったときの夕飯が楽しみでした。今でも覚えているのが、食べるものがないときに母にかびたパンを出されたときです。そのカビだらけのパンを言われたとおりカビの部分をちぎって食べるんですが、酸っぱくてとても食べれません。飲み込もうとしても喉を通らない。要らないと言えばたたかれて。
母は、生活苦で姉さんからお金を借り、それでも足りなければ消費者金融からお金を借りていました。母は私や弟によく暴力を振るいました。しつけとは程遠い、殴る蹴るの暴行。木の棒や布団たたき、ベルトなどでもたたかれました。後に自分が働くようになって気付きましたが、母はお金のなさに苦しみ、おかしくなって自分の子供に当たっていたのです。それが許されるかは別にして、母もかわいそうでした。
私は、そのような家庭環境から、小学校に上がる頃から同級生に暴力を振るってばかりいました。幼い頃から、両親を恨み、貧乏を恨み、金持ちを恨み、社会を恨んでいたからです。中学生になると非行は進み、喫煙、飲酒をし、暴走族の先輩らと遊ぶようになります。高校は県立に進学しますが、高校にも入れないばかだとは思われたくなかっただけのこと、すぐに暴力事件を起こし逮捕され、高校は退学になります。そして私は更に荒れて次々と事件を起こし、暴力団の人たちとも関わるようになっていきます。
二度目に逮捕されたのは十七歳の頃で、鑑別所に送致されました。しかし、私は更生しませんでした。それは、私の心の中の様々な恨みが根深いのと、鑑別所が少年を鑑別するところで、教育を受ける場ではなかったからだと思います。
それから十八歳になってナイフを使用した事件で逮捕され、少年院に送致されます。相手の方は亡くなってはいません。少年院に送致され、初めの頃は院内の生活の仕方や行動訓練を学び、私語は禁止、私語は懲罰の対象になり、刑務所とは違い進級制なので、問題を起こせば一か月単位で出院は延びていきます。そして徹底した体育。社会にいると喫煙や飲酒、薬物に手を染める者も少なくありません。健全な心は健全な体からということです。毎日日記は大学ノート一ページ分が課せられ、週二回の課題作文、裏表のある八百字詰め原稿用紙の裏半分まで書くことも課せられます。そして内省です。壁に向かい正座して黙想するのを一回三十分、日に五、六回行います。こうして社会の誘惑や劣悪な家庭環境、不良交友や暴力団と切り離し、罪と向き合い、自分と向き合っていくのです。
私の考えを一変する出来事がありました。単独室で内省していたときの話です。幼少の頃からの自分の人生を振り返っていました。怒りや悲しみに満ちた人生です。二つの考えがありました。一つは、もう少年院まで来てしまったじゃないか、もう後戻りはできないぞ、あんなにみんなを恨んでいたじゃないか、社会に戻ったらやくざにでもなろうぜという考えで、もう一つは、まだ戻れるぞ、本当にそれでいいのか、自分の人生もっと自分を大切にしろよと、いろいろなことが頭の中をよぎり、気が付けば涙を流し、おろおろと泣いていたのです。
自分はこの先どうすればいいのか、考え過ぎて頭がおかしくなっていたのかもしれませんが、そのときに耳元で、何のために生まれてきたんだという声が聞こえたのです。ほかに誰もいない単独室です。私は心を入れ替える決意をします。これまでの自分は間違っていたと思うと、少し楽になった感じを覚えています。
私は、少年院に入ってあの経験がなければ今の自分はないでしょう。十八歳、十九歳という年齢は、確かに少年でもない、大人でもない年齢です。しかし、私のように、まさに人生の岐路であり、見えない境界線があります。その見えない境界線を本人が越えないように我々大人が目を見張り、教育していくのが明るい社会づくりだと思います。
続きまして、今回の少年法等の一部改正について三点申し上げます。
まず第一は、少年院のことです。
これは私の経験から今まで申し上げてきましたが、改正案は、犯罪の軽重を考慮して三年以下の期間を定めるとなっています。犯罪の軽重というのは素人の私にはよく分かりませんが、犯罪のいきさつや手段がひどいとか被害が大きいとかだと思います。
ここで気になっているのは、初めに期間が決められたら、その期間が来たら出院できるということです。少年院は進級制度もあり、努力して改善したと認められなければ出院できませんでした。面接や作文などいろいろな働きかけがありました。もし期間が決まっていると、真から改善をしないで出院を待つようにならないか心配です。そうなると再犯防止の点からも危うくなると思います。
二つ目の点です。原則逆送の対象事件拡大について。
二〇一九年のデータになりますが、少年院に送致された少年は千七百二十七名で、男千五百九十四人、女百三十三人です。それから十年遡りますが、二〇〇九年では三千九百四十二名で、男三千五百四十四人、女四百十八人で、十年で半分以下になっています。少子化ではないのかという声もあると思いますが、少年人口比で見ても犯罪は減っていて、少年法が有効に機能していると言えます。
厳罰化賛成の方々が言う抑止力になるという意見があると思いますが、刑務所の方が再犯が多いと聞いています。刑事犯で検挙された人員のうち再犯者は四八・八%で、ほぼ半分を占めています。少年院では三四%です。少年院の方が有効に機能している証拠ではないでしょうか。
民法で成人年齢が引き下げられ、選挙権が与えられるようになりますが、社会において責任ある主体として積極的な役割を果たすことが期待される立場と言われますが、高校生や大学生の年齢で一体どれだけの少年が自立しているのでしょうか。
また、少年院収容人数のうち六四・五%が中卒、高校中退者です。また、その少年らのうち、知的障害、発達障害、その他精神障害が含まれます。そして、虐待された経験を持つ者は、男子三四・六%、女子五四・九%です。多くの少年は家庭の状況によって勉強に動機付けられておらず、知的能力に比し学力が低いのです。同じ十八歳、十九歳の高校や大学に通う少年らとは明らかに大きな差があるというのが私の主張で、その大きな差が責任能力にも影響されると思っています。
重大事件については、被害者が死亡した場合ですが、それ相応の罪を受けるべきだと思います。その中で、原則逆送致制度の導入、刑の緩和の制限、刑の引上げなど、これまでの法改正で相当程度対応されており、拡大する必要性はないと思っております。
三つ目、最後になります。推知報道についてです。
昨今のSNSの普及により個人の意見を発信できるようになり、それ自体はいいことですが、長引く不況、政治不信、コロナ禍により人々は疲弊し、怒りや悲しみに満ちた世の中で、復讐心が入り交じる正義感で誰かを攻撃する人たちがたくさんいます。報道の過熱ぶりも問題です。芸能人が一度問題を起こすと社会全体でこれでもかとこてんぱんにするさまが見受けられます。気分のいいものではなく、私はそれが嫌です。
加害者は、社会の根強い偏見や悪意のあるうわさのため、住宅の確保や就職など基本的な生活基盤を築くことが難しく、本人に真摯な更生意欲があっても社会復帰が厳しい状況にあります。また、加害者本人だけではなく、その家族も社会からの偏見や差別を受けることがあります。加害者家族の自殺も起きています。そんなの当たり前じゃないかという声もありますが、それでは汚れ多き、人にあらずという意のえた非人であり、江戸時代の身分制度と同じです。
死刑にでもならない限り、加害者は社会に戻ってきます。社会の一員として生活をするためには、真っ当な仕事に就き、本人の強い更生意欲とともに、家族、職場、地域社会など周囲の人々の理解と協力が何よりも必要です。犯罪から社会を守り、安心して暮らせる社会を築くためには、警察や司法が犯罪の取締りを強化し、犯罪者を罰するだけでは十分ではありません。罪を犯した人が再犯しないよう温かく支援する地域社会づくりが重要なのです。
そういう理由により、推知報道の解除に反対です。
二〇一六年、平成二十八年施行の再犯の防止等の推進に関する法律第三条、基本理念にはこう書いてあります。犯罪をした者等の多くが定職、住居を確保できない等のため社会復帰が困難なことを踏まえ、犯罪をした者等が、社会において孤立することなく、国民の理解と協力を得て再び社会を構成する一員となることを支援すると書いてあります。今回の特定少年の取扱いによる改正は矛盾し、行き過ぎた改正だと思っています。
これまで、少年法の改正が沸き起こるたびに加害者と被害者遺族の意見が衝突するように思います。その一番の問題は、被害者、被害者遺族を救済する制度がないことです。これはつくらないといけません。
最後に、国には、現在の少年法を維持していただきつつ、被害者、被害者遺族を救済する施策を総合的に策定していただき、実施していただきますようお願いし、終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
参考人の皆さん、今日はありがとうございます。
初めに、橋爪参考人に伺います。
今日も議論になっておりますが、法制審では、その答申では、少年法の適用年齢の引下げについては明確な結論が出されたわけではなく、国民意識や社会通念等を踏まえたものとすることが求められると、そして、今後の立法プロセスでの検討に委ねるとされています。実際には与党PT合意に沿って法案が作られて、十八歳、十九歳が少年法の対象とされるということになりました。
参考人も、先ほど、民法や公選法の年齢引下げに伴って少年法を改正することは必然ではないという言い方もされておりましたが、つまり、十八歳や十九歳の位置付けというのは、今度の法案では民法の成年年齢と完全に整合されたというわけではなく、そこには一つの政策判断があってこういう形になっているものかと思うんですけれども、その点についてはいかがでしょうか。
○参考人(橋爪隆君) お答え申し上げます。
今御指摘ございましたように、民法と少年法は別の法律ですので、別な観点から年齢要件については決定しても構わないというふうに考えております。
ただ、十八歳以上につきましては、やはり保護者がいないわけですよね。保護者がいないわけですから、保護者を前提とした保護処分というものを科すことは難しいだろうと。そういった意味では、少年法の中に、厳密に申しますと二類型の保護処分が併存していると、つまり十八歳以下の保護処分と若干内容が違う保護処分というものが併存しているという形式で、年齢要件自体には手を加えないとしましても、その内部において、民法の発想といったものを取り入れて保護処分の二元化というものを図っているというふうに考えております。
○山添拓君 そのような法理論の在り方というのも政策判断ですので、判断いかんによっては別の判断もあり得ると、こういうことでしょうか。
○参考人(橋爪隆君) 私が申し上げたかったのは、少年法を引き下げるかどうかということについてはいろんな選択肢があるというふうに思うんですけれども、やはり十八歳になって民法上保護者の監護を離れているわけですね、かつ、民法の改正の趣旨としましては、やはり十八歳以上というものは自分で責任を持って振る舞う人間であるというふうな評価がされております。そうしますと、従来の少年法のように責任がなくても介入することを正当化することは困難だろうと。
これを法理論としまして、やはり十八歳以上につきましては責任がある限度で処分を科すということについては、私の中では、論理必然的に出てくるというふうに考えておりました。
○山添拓君 続いて、橋爪参考人と川村参考人に伺います。逆送事件における起訴後の推知報道解禁についてです。
被害者については制限なく報道されるのに、少年だからといって報じられないのはバランスを欠くと、こういう観点で語られることがあるかと思います。しかし、それは被害者のプライバシーの保護をどう図るべきかという問題であって、被害者保護の更なる充実が検討されるべきかと思います。
更に言えば、成人の事件であっても起訴時点では無罪推定、川村参考人からもありましたが、ですので、表現の自由や報道の自由がいつでも優先という場面ではないということも考えられるかと思うんですが、この点についてはいかがでしょうか。
○参考人(橋爪隆君) お答え申し上げます。
確かにおっしゃるとおりでございまして、加害者側と被害者側を同列に扱う議論をする必要はないと考えております。
その上で申し上げますが、成人に関しては、現在、推知報道は自由にできるわけですよね。例えば、最終的には無罪になった場合につきましても推知報道はできるわけです。それを前提としますと、十八歳以上であって公判請求されるという状態に至っておりますと、それについては現在の成人と同様の扱いをしても特に理論的に問題ないだろうというふうに考えておりました。
やはり憲法上は報道の自由といったものに重要な価値がございますので、やはり実名報道が原則であって、推知報道禁止は例外的な規定であるという観点から議論をする必要があると考えております。
○参考人(川村百合君) 今の山添議員の意見、おっしゃるとおりだと思います。
犯罪被害者がその意思に反して実名報道され、プライバシーが社会にさらされたり名誉が毀損されたりという現実があることが問題なのであって、被害者の権利が保障されるように改善すべきことだろうというふうに思います。被害者の権利が侵害されているから加害者の権利も侵害していいんだという両方をおとしめる方向ではなくて、両方の権利をより高めるという方向に法制度としては持っていくべきだろうと思います。成人の場合の実名報道というのも現実には社会復帰が困難になっている例というのは枚挙にいとまがないと思いますので、成人の報道の在り方というのも見直されるべきところがあるように思っています。
とりわけ、いわゆる忘れられる権利というのが我が国ではまだ確立しておりませんので、忘れられる権利というもの、どこかの段階で情報の削除を求められるというようなことをセットで立法していただかないと、今の社会では報道というものが社会的な制裁、社会的なリンチのように使われてしまっているということが問題だろうというふうに思っています。
○山添拓君 ありがとうございます。
川村参考人に続いて伺います。
法案は、十八歳、十九歳、虞犯の対象から外すものとなっています。与党PT合意では、罪を犯すおそれのある十八歳、十九歳の者の更生、保護のため、行政による保護、支援の一層の推進を図るべきであるとされていました。しかし、今回の法案では具体的な支援策が盛り込まれているわけではありません。
参考人はNPO法人のカリヨン子どもセンターの理事や一般社団法人Colaboの理事も務められて若年女性の支援などにも関わっておられるかと思いますが、現場でお感じになっている十八歳、十九歳への保護や支援の必要性、また虞犯規定の存在意義についてお感じのことについて御紹介いただきたいと思います。
○参考人(川村百合君) 先ほどの意見でも少し述べましたけれども、虞犯に至っている少年というのは、児童福祉の分野できちんと保護がされていなくて犯罪行為を行うに至ってしまっている。でも、被害届が出ていないので犯罪として立件はされていないけれども、実際には犯罪に近いところにいるような少年たちが、私が理事を務めております今御紹介にあったような法人で支援をしているとたくさん出会うところです。
本来であれば公的機関、行政がきちんと福祉的な支援をするべきであったのにしていなかったがために、でも、家庭で虐待を受けているので家にはいることができなくて家出をして、そして行く場所がなくて民間の支援団体につながってくるというような子たちがたくさんいるわけですが、その子たちにとっては先ほども申し上げたやはり少年院しかもう行き場所がないという状態になっている。少年院が最後のセーフティーネットになっているというような子たちが少なからずいるのです。
それは、まず、十八歳、十九歳の年齢の場合には、先ほども申し上げましたけれども、もう児童相談所が十八歳になってから一時保護をして保護所に入れるというようなことがもうできませんので、もう一時、児童福祉の対象外ということになってしまって、じゃ、どういうところに保護できるのかというと、民間のいろいろな団体が施設を運営しているところもありますけれども、やはり非行化が始まっている子供はちょっと厄介な子供ということになって、民間の施設は受け入れたがらない、受入れを拒否するということになって、結局行き場所がないから夜の町をさまようしかないというような子たちがたくさんいるんですね。
やはり、少年法の中の、国の法律によって財政的な裏付けがあって、人的な裏付けもあってつくられている少年院というところは、やはりどんなに難しい子であっても、人をつぎ込んでも支援ができる、教育ができるような体制をつくることができるという法律の根拠があった中での運営ができるわけですから、やっぱりそういうところが最後のセーフティーネットにならなければ、本当にどこにも行き場がないという子たちが続出してしまうと思いますので、そういう意味で、今回虞犯を外すということは社会的な悪影響が大きいだろうというふうに思っています。
○山添拓君 ありがとうございます。
大山参考人に伺います。
今日は、大変当事者的な立場で困難がある中で御発言いただいたことに感謝を申し上げたいと思います。
三度目の逮捕で少年院送致となって、内省の時間、それが立ち直りの契機となったというお話でした。
家裁調査官、裁判官、少年院の法務教官など、そこに至るまでに少年法の手続の中で様々な人と、人が関わっていたかと思います。今思い返して、思い返されてみて、どういう関わり方が特に印象に残っているかということについて御意見伺えますでしょうか。
○参考人(大山一誠君) 関わり方でいうと、ちょっと今、家裁の調査官とかいろいろあったんですけど、自分の中でその関わった中で特に印象深かったのはやっぱり少年院での教官の人たちで、もう体育も、さっき言ったみたいに、体育も指示だけではなく、先生も、本当五十手前の先生もいたんですよ、その人がもう毎日、一年中ですよ、十代の子と一緒に走り回って、腕立て伏せも百回、二百回、三百回ですよ、それを一緒にやるんですよ。それで、そういう人って今この世の中にあんまりいないですよね。すごく貴重な存在だと思っていて、自分聞いたんですよ、運動会とか行事に参加していたんで出院後に。先生、何で指示すればいいだけなのにやるんですかって言ったときに、その土地土地の不良少年たちが来て俺たちも本気でやらないと駄目だというふうに言っていたんですよ。
それ聞いたときにすごい感動してしまって、そのときにぱっと思ったのは、これは昔、自分たちが子供の頃って大人の人たちが平気でよその子供とか怒っていたじゃないですか。それがいいか、現代に即しているかどうかは別にして、大人の方がやっぱり強かったわけですよ。それで、今になったら、それは凶悪な少年事件、確かにあります。それでちょっと逆転してしまって、大人の方がちょっとびびっているんじゃないかなというのもあって。そのときに、何かこの少年院の先生たちってすげえなって、本気でぶつかっていくんだなって、少年と向き合っているんだなっていうのを感じました。
それで、体育だけじゃなくて、少年に個別、例えば、集団部屋でも単独室でもそうなんですけど、夜、余暇の時間とかあるんですよ、自習していたりとかする時間に。そのときに個別に先生が話しているのを、やっぱり耳に聞こえてくるんです。例えば、暴力団もやっている少年もいるし、相手が亡くなってしまった少年もいました、自分の部屋の中には。で、聞いていると、やっぱり先生たちは、怒ることもしますけど人情味あふれる話で接しているのを聞いて、ああ、ちょっとやっぱり信頼できるなって、やっぱりこの人たちちょっと違うなっていうふうな信頼感は僕はありました。
それがちょっと思い出というか、ぱっと思い付いたことです。
○山添拓君 ありがとうございます。
最後に川村参考人に伺いたいのですが、そうした少年院の、少年院送致ですね、これ一応の期間が定められていますが、進級できなければ延びることがあると、大山参考人からもありました。これは教育的な措置を中心に据えている保護処分の大きな特徴かと思います。
少年院での生活に上限が決まっていて、短縮はあり得るとしても、上限が決まっていて一定の期間で必ず出られると、こういうことになっているとすると、その処遇というのはどのように変わり得ると考えられるでしょうか。
○参考人(川村百合君) 刑務所での処遇に近くなってくるのではないかというふうに懸念します。つまり、先ほどもちょっと申し上げましたが、もう満期が来れば反省していようがいまいが出られるから、とにかくきついことも耐え忍ぼうというのが刑務所で起きがちなわけですけれども、少年院でも、もう上限決まっているので、そこまでに進級ということを断念しても、進級のために内省を深めていくというようなことを自分が放棄してしまったとしても、まあ間もなく出られるだろうということで、しかも、犯情を考慮してその処分がされるということになってしまうというのが大きな変更ですから、要保護性が大きいから、要保護性が根深いから長い処遇期間を掛けるということではなくなってしまうので、少年院の持っている、目標に向かって頑張る、頑張れば早く出られるという、そのいいところが失われてしまうというふうに思います。
○山添拓君 ありがとうございます。
今後の審議の参考にしたいと思います。