24日早朝、帰国しました。8泊9日の長い海外出張、初めての東南アジアで新鮮な驚きの連続でした。ODA調査という主題についてはもちろん、多くのことを学びました。
その一つは、ODA(政府開発援助)のあり方自体に見直すべき点があるということ。
途上国が自立した発展を遂げられるよう支援し、貧困と格差を解消していく、ODAの本来の目的はここにあります。学校建設やプノンペンの水道事業、ミャンマーの税関システムなど、本来の目的に沿う支援が現に多くされていることも、今回目にしてきました。
ところが実際には、背後のもっとヨコシマな狙いの下に行われている。ODAは現在、2013年の国家安全保障戦略を踏まえて2015年に閣議決定した「開発協力大綱」に基づき実施され、そこでは「我が国にとっての戦略的重要性を十分踏まえ重点化する」とあります。日米同盟に基づきアメリカと戦争する国をつくろうとする安倍政権が、その目的に沿う形でODAの対象国や課題を取捨選択することにほかならない。それは本来のあり方とは異なるはずです。
もう一つ感じるのは、ODA援助国の利益をむき出しで追及する姿勢の問題です。
無償の資金供与では、日本企業が案件を落札します。円借款、貸付けの場合には、国際入札で外国企業も応募します。とりわけ政府が重視する後者の場合、せっかく円借款で日本が支援しても、中国や韓国の企業にとられるのは不満がある、仕事も日本ほど丁寧でない、といった意見を聞きます。特にインフラ整備では「安かろう悪かろう」、工事価格は安く工期が短くてもすぐに修繕が必要になるとか維持管理コストがかかるなど、長い目で見れば割高となるやり方が、道路やダムなど現にあると聞きます。ここは日本の存在感を示すためにも日本企業が落札し、高い技術で実施を、そうして日本企業の利益を増やそう…その考えは、わからないではない。
しかし、これではまるで、ODAによって日本の経済成長を狙うのに等しい。しかもそれによって得られるのは、日本企業の短期的利益が中心であり、本当の経済成長にすらつながらない。
実際には、日本企業が落札したとしても、自前では全部やれないという現実があります。
ミャンマーでヤンゴンからマンダレーまで600kmに及ぶ鉄道の設備更新が計画されていますが、日本ではこんなに長距離の発注はすでになく、信号設備などの生産ラインが追いつかない、といった具合です。
あるいは建設業は、国内でも担い手不足が言われる一方、災害復旧や東京オリンピックに向け、また老朽化したインフラ設備の更新など需要は増えています。国外で指揮をとる人材すら不足する。
私は、こういう状況の下で、とにかく日本がたくさんの案件をとれるように、日本企業が儲かるようにすべきだという考えに、疑問があります。ODAの本来のあり方に立ち返り、どのような支援が必要とされているか、誰がどのようにかかわり実施すべきなのか、支援にかかわる複数の国で真摯に議論する、その上で必要な役割分担を行う、そうしたあり方への旗振り役をこそ、日本が率先して担っていくべきではないかと思うのです。その際には、何よりも対象国と援助国とが、相互に敬意をもってことにあたる姿勢が求められます。
少し抽象的になってしまいましたが、せっかくODA調査団の一員に加えていただいたので、今後も機会をとらえてかかわっていきたいと思います。
大使をはじめ大使館職員のみなさん、JICAの現地スタッフの方々、現地で活動するNGOのみなさん、経済界の方々など、お会いした日本のみなさんは非常にエネルギッシュで、地域の実情によく精通されていました。こういう方々を通して世界で日本が見られているのだと実感します。言語も文化も気候も全く異なる地で活動されているみなさんには、心から敬意を表する思いです。
またこのたびの訪問で私たちのために時間と労力を割いていただいたことに、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
写真はヤンゴンで宿泊したホテルの部屋から、最終日の夜明け。そして日本へと帰る機窓から眺める朝焼け。
日本への帰国は、懐かしさとともに、私たちはこの国でがんばらねばという思いを誘います。