韓国・ソウルに初めて行ってきました。東京と同じく天気のすぐれない日が続いたものの、短いながら刺激の多い滞在でした。
ソウル特別市の中心部から約1時間半。地下鉄を乗り継ぎさらにタクシーで向かった先は、元日本軍「慰安婦」とされた方が住む、ナヌムの家歴史館。社会福祉法人が運営しています。
日本語のVTRを見せていただいた後、日本人のスタッフに歴史館を案内していただきました。
「慰安婦」という言葉自体が実態を覆い隠しており、国際的には「性奴隷」と呼ぶのが正しい。日本軍が敵地で強盗や強姦などを繰り返し統制が乱れ、さらには性病が広がり兵隊として動員することもままならない事態に頭を悩ませた指導部が、軍としての方針の下に「慰安所」を設置。軍が定めた利用規則が展示されています。利用料は兵隊の階級ごとに決められ、支払いは軍票(日本軍が占領地で発行した通貨。利益を得たのは周旋屋であって女性たちではない)、兵士には避妊具まで配給し、性暴力を公認、というより推奨していました。その数は5万人から30万人に上るといいます。全ては日本の戦争を遂行するためです。
客観的な証拠に加えて、勇気を振り絞り名乗り出た、被害者であるハルモニたちの証言があります。ほとんど拉致同然に連れ去られたり、仕事があるぞと甘い言葉で誘い出されたり。「慰安所」に入れられる経緯は様々ですが、望んでも帰してもらえない、脅迫や暴力をもって性奴隷として過ごすことを余儀なくされたという証言は、簡単に否定できるものではない。
それでもなお、「強制はなかった」と主張してはばからず、「清算済みのこと」といい蒸し返すなと開き直る日本政府。韓国の地で、恥ずかしく情けない。
「15で受けた傷は戻らない」と訴えるハルモニたちは、すでに高齢で、入院されている方もいるといいます。今回も直接お話することは叶いませんでした。学生時代、民青同盟の企画で学園祭にお招きすることができたのは奇跡的なことだったと、いま振り返り思います。
「慰安婦」問題の謝罪と賠償を求める水曜集会は、1992年に始まりいまもソウルの日本大使館前で行われている。近くに少女像が設置された日本大使館は、抗議行動をおそれてか壁を高くし、その扉を固く閉ざしています。
日本からの独立後、70年を経て解決されていない問題は、私たちの時代で解決しなければならないと強く思います。その責任の重さを痛感した訪問でした。