福島調査、2日目は浪江町へ。今年3月31日に初めて一部の区域で避難指示が解除されたばかり。私は、まだ全域が避難区域だった昨年3月に訪れて以来です。
第一印象は、なんともいえない町の寂しい様子。行き交う車は多いですが人影は少ない。誰も住んでいないと思わせる家々が並びます。解除されても、やはり簡単には戻れない。
町役場で馬場有町長と懇談しました。
震災前は人口2万1000人、双葉郡地域で最大の町でしたが、現在戻っているのは286人。わずか1%です。住民票を置く町民自体も1万8000人あまりと減ってしまっています。
避難指示の解除は「苦渋の選択」だったという町長。「いま解除しないと町のあり方にかかわる、将来なくなってしまうのではないか」と考えたといいます。
役場が中通りの二本松市に避難していた時は、台風や大雨の日には何か対策をと気を揉むものの、「ここは自分たちの町ではなかった」と思い至り、手伝えることも限られていて歯がゆい思いをしたそうです。浪江町に帰ってきて、知らないうちに背負いこんでいたそうしたストレスがすとんと落ちたとお話になるのが印象的でした。全町避難の異常さは、いろんな形で現れます。
国は状況をわかっていないとも。いまも避難指示が続く帰還困難区域について、復興拠点を整備し将来は解除を目指す政府ですが、町が場所を決めようとすると「そんなところを除染して何人帰ってくるのか」と。除染費用を東電ではなく国が肩代わりするようになると、費用対効果の話が出てくる。「誰のせいでこうなったと思っているのか」という町長の怒りは、当然だと思います。
その後、役場の方に町内を案内していただき、災害復興住宅や災害がれきの仮置き場、今年4月に一部復旧した常磐線浪江駅などを見てまわりました。
私はここから列車で北上し、仙台経由で東京へ。再開後間もない区間を含めて、図らずも(?)経験できた列車の旅でした。