2016年4月26日
保育は誰のためのものか
昨夜、「ほいくのつどい」に参加。保育士や保育園の園長さん、また保護者も参加されていました。
私は都議の大山とも子さんと保育問題でトーク。「保育園落ちた」のブログ以来、特に耳目を集めている子育て・保育問題は、親世代が置かれた状況や保育にかかわる労働者の実態など広くて深いテーマであり、もっといろんなことをお話したかったなと反省。
私が強調したいと思ったのは、保育は誰のためのものかということ。児童福祉法の改正(1997年)により、保育は行政による「措置」から保護者と保育所の契約となったと説明されます。では保育は保護者のためかというと、そう言い切れるわけではない。
保育は、保護者が仕事や病気のために保育を必要とする子どもについて、行政(市町村)が保育の実施義務を負うものです。したがって保育は、それを必要とする子どもの発達、学びを保障するためにある。人員配置や面積の最低基準が法律で定められるのはそのためです。
保育所を増やし保育労働者の待遇を改善するというとき、より根本的には、子どもの成長を社会がどう保障するかという観点で捉えることが重要だと思います。
安倍政権の配置基準を緩めて詰め込むという対策にはこの観点がない。株式会社経営では子どもより営利優先に、非正規化で低賃金と不安定雇用の保育士では現場を疲弊させる。保育の質を向上させつつ、待機児童数を減らすことが求められます。
というようなことを言いたかったのですが、たぶん昨夜は、直前に依頼を受けて私も加わった寸劇の方が、大いに盛り上がったのではないかと思います(笑)
この寸劇、短いながら考えられた筋書きで、ブラック企業に勤めるお父さんと産休中の保育士のお母さんへ、第二子が保育園に落ちたと通知が来たという設定。私はパパ役でした。写真はその一幕。