2025年・第217通常国会
- 2025年3月21日
- 予算委員会
731部隊の人体実験「資料ない」はウソ 公文書を示し追及
○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
戦後八十年、歴史の事実に真摯に向き合うことが不可欠と考え、質問をいたします。
旧日本軍七三一部隊について伺います。
満州事変をきっかけに組織が強められ、一九三八年、中国東北部ハルピン市郊外に大規模な拠点を設け、生物兵器の研究開発を行った部隊です。抗日運動への参加などを理由に中国人やロシア人を裁判もせず拘束し、被収容者は丸太ん棒になずらえマルタと呼ばれ、三桁ないし四桁の番号で管理し、特別監獄に収容されました。人間ではなく材料扱いです。ペストや炭疽、コレラなど細菌に感染させる、手足を人為的に凍傷にかからせる、馬の血を輸血する、毒ガスを吸入させる、空気を血管に入れる、食事を与えず餓死させる、水を与えず脱水状態にするなど、あらゆる実験が行われ、犠牲者は三千人とも言われます。生存者は一人もいません。
こうした事実は、森村誠一氏の「悪魔の飽食」や、多くの研究論文、また戦後行われたハバロフスク裁判の記録、中国やアメリカで公開された資料からも広く明らかになっております。(資料提示)
ただし、日本政府は、七三一部隊の存在を認める一方で、その活動の詳細を示す資料がないとしてきました。防衛大臣、これは事実ですね。
○防衛大臣(中谷元君) 二〇一六年の六月十五日の玄葉国務大臣の答弁、(発言する者あり)二〇一二年の答弁におきましても、その資料は見当たらないという御発言がございます。
○山添拓君 一九九三年、防衛省の防衛研究所図書館で、陸軍参謀だった井本熊男氏の業務日誌が発見されました。井本日記といい、細菌戦の様子も克明に記されております。
委員の皆さんには資料をお配りしております。
例えば、一九四一年十一月に、井本氏が報告を受けた内容として、次のようなものがあります。
十一月四日朝、現在の湖南省常徳でアワ三十六キログラム投下。このアワというのはペストに感染したノミ三十六キログラムのことです。十一月六日、常徳付近に中毒流行。十一月二十日頃、猛烈なるペスト流行。実験の評価は、命中すれば発病は確実とあります。当時、地元の新聞が報じたペストの流行とも一致します。
ところが、政府は井本日記について、これは公文書ではなく個人の日誌と片付けてきました。大臣、これは事実ですね。
○防衛省 防衛政策局長(大和太郎君) お答え申し上げます。
平成十年四月七日の参議院総務委員会において、当時の大古説明員が、御指摘の井本氏の日誌につきましては、いわゆる公文書に該当するものではなくて個人の日誌であるということで理解をしております、防衛庁の防衛研究所の図書館では、本人からの委託を受けまして今保管してございますけれども、現在、プライバシーに関わるという観点から公開しておりませんと答弁したものと認識しております。
政府として、この認識に変更はございません。
○山添拓君 防衛省、御答弁いただきましたが、現在も防衛研のホームページで閲覧できる戦史叢書は、前身の防衛庁防衛研修所戦史室が編さんした公刊物です。
私の事務所でも確認しましたが、そうすると、ここには確認できるだけで二百か所以上、井本日記からの引用がありました。個人の日誌といっても、歴史の事実を示す重要文書だからこそ、戦史叢書に多数引用しているのではありませんか。
○政府参考人(大和太郎君) お答え申し上げます。
御指摘の井本氏の日誌において言及されている内容について、客観的に事実か否かということを政府として断定することは困難であると考えております。
○山添拓君 事実かどうか断定できないことが戦史叢書には引用されているのはなぜかと伺っています。
○政府参考人(大和太郎君) 戦史叢書は、防衛研究所の研究者が戦史を編さんするという観点からやっているものでありまして、戦史叢書に記載されていることをもって、この井本氏の日誌において言及されていることが客観的事実か否かということを政府として断定したということではないというふうに認識しております。
○山添拓君 公刊物なんですよ。いや、公刊物なんですよ。
井本氏の日記の一部をつまみ食い的に記載をし、しかし、細菌戦に関する記述は一切書かれていないんですね、戦史叢書には。こんないいかげんな話はないと思うんですよ。井本日記というのは業務日誌であって、私的に作られたものではありません。一九九三年の当時は公開していたのに、後から非公開とされた、これも極めて不合理だと思います。
委員会に提出を求めたいと思います。
○委員長(鶴保庸介君) 後刻理事会にて協議をいたします。
○山添拓君 資料をお示しします。
き弾射撃による皮膚傷害並一般臨床的症状観察という文書の写しです。一九四〇年九月七日から十日にかけて実施されたイペリットガス弾の人体への発射など、五種類の実験結果をまとめたものです。
イペリットは、皮膚がただれ、吸えば肺が破壊される致死性の毒ガスです。からしの臭いがすることからマスタードガスと呼ばれ、淡い黄色になることから、き弾、きい弾と呼ばれていました。
この実験は、服装の違いや防毒マスクの有無など条件を変えた十六人のマルタを三つの地点に立たせて、第一地域は千八百発、第二地域三千二百発、第三地域四千八百発を発射。その後、四時間、十二時間、二十四時間、二日、三日、五日と、どんな効果があったか、神経障害を含む一般症状、皮膚、眼部、呼吸器、消化器の症状、頭痛や発熱、嘔吐、水疱など、一人一人に現れた症状の経過を観察し、記録をしたものです。
文書の末尾には地図があり、被験者の位置が書かれ、そこには二九四、三七六など、マルタの番号と思われる数字が記されています。このほか、五名に対しては、毒ガスの水溶液を直接人間に飲ませる原水攻撃という実験も行っています。
この文書はこれまで、一九八三年に神田の古本屋で発見されたものが翌年八月の毎日新聞で大きく報じられ、知られてきました。ところが、ある研究者の調査で、防衛省防衛研究所にも同じ内容の史料が保存されていることが分かりました。私も防衛研を訪れ、確認しました。今も閲覧可能な状態で保管されておりました。
本文の前に複製史料経歴票というものが貼り付けられております。表題、き弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察外四件、池田軍医中佐寄贈。この史料を戦史室が入手した経緯、入手時期、昭和三十九年十二月十五日借用、昭和四十二年三月複製、提供者は池田苗夫とあり、その池田氏の略歴には、昭和十五年七月から十七年十一月、関東軍防疫給水部付軍医少佐、七三一部隊に所属していたことが記されております。経歴を記したのは戦史室の編さん官で、その押印もあります。
注目いただきたいのは、一番下の史料についての所見記入欄です。
池田苗夫氏からは、戦時中作られた軍陣衛生に関する史料を多数寄贈を受けている。表題のき弾射撃による観察は、人を使用して行った試験の成績であり、得難い貴重なものである。それによると、人体に対する影響がつぶさに記されているが、それらの人が死に至ったかについては記されていない。
防衛大臣に伺います。
これは、七三一部隊が毒ガスによる人体実験を行っていたことを示す公文書ですね。
○国務大臣(中谷元君) 御指摘の戦史史料というのは、公文書管理法、そして施行令に基づき、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として、防衛省防衛研究所戦史研究センターの史料室において管理がなされているものでございます。
で、これら言及されている内容について、客観的に事実かどうか否かということを政府として判断するということは困難であります。
その上で、この本件の性格、時間的な経緯に鑑みましたら、更なる調査を行って断定することも極めて困難と考えますので、新たな事実が判明をする場合には歴史の事実として厳粛に受け止めて考えていきたいと考えております。
○山添拓君 公文書と認めておきながら事実を確認できないというのは、それはいかなる認識かと問わなければなりません。
大臣に伺いますけれども、実験が行われた一九四〇年九月、池田氏が七三一部隊に在籍していたのは事実ですね。
○委員長(鶴保庸介君) 事実関係ですから。
○政府参考人(大和太郎君) 御指摘の点については、政府として確たることは申し上げられないということであります。
それから、先ほど委員から御指摘のありました辻二佐の作成した史料経歴書における記述でありますが、御指摘の箇所は記述者の個人的見解に基づいて記載されたものでありまして、防衛省や防衛研究所としての見解ではございません。
○山添拓君 いや、この経歴票には、史料管理上の最高責任者として、防衛庁事務官戦史室長の名前と押印まであるんですね。これ自体が防衛研究所の公文書ですよ。公文書について書かれていることを戦史室は否定されるんですか。この文書は池田氏が、当時七三一部隊に所属していた池田氏が作成した文書だと言わなければならないと思います。
そのことは、最近、国立公文書館で、一九四〇年八月二十二日付けの関東軍防疫給水部、つまり七三一部隊の職員表が発見されております。ここでは、診療部員軍医少佐池田苗夫と書かれております。経歴票の記載とも一致します。当時、池田氏が在籍していたということは公文書上明らかです。
これだけ材料をお示ししています。この文書が公文書だということもお認めになりました。ならば、ここに書かれていることは政府としてきちんと検証し、当時七三一部隊が人体実験を行った、少なくともここに書かれているような人体実験を行ったことは事実だと、政府として認めるべきではありませんか。
○国務大臣(中谷元君) その史料がセンターの史料室において管理がなされているということは事実でありますが、これらで言及される内容につきましては、客観的に事実か否かということを政府として断定をするということは困難であると考えております。
○山添拓君 いや、政府として断定することができないというのは、これは到底受け入れられません。なぜなら、これまで政府は、個人の私的な文書であるから日記によっては認定できないとしてきたわけです。今、公文書があるということをお認めになった。ところが、その公文書に基づいてすら、その事実があったことを認められないとおっしゃる。これは通らないと思います。
私は、政府として見解を整理して、委員会に報告するよう求めたいと思います。
○委員長(鶴保庸介君) 後刻理事会にて協議をいたします。
○山添拓君 この史料は、昭和三十九年、一九六四年に防衛省に、防衛研に寄贈されております。
公開したのはいつですか。
○政府参考人(大和太郎君) 御指摘の史料については平成十六年より公開されております。
○山添拓君 平成十六年、二〇〇四年です。四十年にわたって非公開としてきたのはなぜですか。
○政府参考人(大和太郎君) 昭和三十九年から平成十六年に至るまで非公開であった経緯や公開に至った経緯について確たることを申し上げることは困難でありますが、その上で申し上げれば、平成十四年に定められた戦史史資料の管理に関する業務資料要領に、業務処理要領においては、史資料は公開を原則とする、戦史史料の閲覧利用規則第四条を基準とし、図書館長が公開の可否を判定するなどとされております。
そして、この戦史史資料の閲覧利用規則第四条では、情報公開法に準拠し、個人や法人等に関する情報であって、公にすることによりその権利権益を害するおそれがある場合や、公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれがある場合などに限り、史資料の利用を制限することができるとされており、こうした規則にのっとり公開の判断がなされたものと考えられます。
○山添拓君 戦史史料の公開は、規則に従って審査委員会が判断しています。本件の公開に至る審査の経過が分かる資料、管理記録簿というそうですが、その提出を求めたいと思います。
○委員長(鶴保庸介君) 後刻理事会にて協議をいたします。
○山添拓君 政府は従来、七三一部隊の具体的な活動について詳細を示す資料はないと言い、例えば、一九九九年には当時の野呂田防衛庁長官が、具体的な活動状況や生体実験に関する事実を確認できる資料は確認されていないと答弁しています。
しかし、少なくともこの史料は七三一部隊の人体実験の事実を示す公文書です。これまでうその答弁をしてきたということになるではありませんか。
○国務大臣(中谷元君) 先ほども御説明しましたが、七三一部隊の活動の詳細については政府部内に資料は見当たらないというふうに認識をいたしております。
○山添拓君 その答弁は納得がいきません。
今度の記録、今お示しをした史料は、七三一部隊の活動について示した公文書ではないのですか。そのことも否定されますか。
○政府参考人(大和太郎君) 先ほど、私、井本日記について、大古説明員の答弁を引用しました。いわゆる公文書に該当するものではなく個人の日誌であるというふうに申しました。
一方、き弾射撃の、この池田氏から寄贈された文書でございますけれども、これについては、今の政府の文書としての性格としては行政文書ではありませんが、貴重な歴史資料として私どもの防衛研究所の方で保管しているということであります。
○山添拓君 いやいや、これはプライベートに作られたものですか。公的に作られたものでしょう。当時、軍医少佐だったんですよ、池田氏は。そのことは公文書館の職員表から確認されております。七三一部隊に所属していた軍医少佐である池田氏が作成し、その池田氏が自ら防衛庁に持ち込んだものですよ。それが、あたかも私文書であるかのように、確認できない単なる歴史書であるかのようにおっしゃるのですか。
○政府参考人(大和太郎君) 池田氏から寄贈されたこの文書、き弾射撃に関するこの文書ですけれども、これが私文書であると、日記である、に類する私文書であるというようなことは私たちは申し上げておりません。
○山添拓君 当然だと思います。野呂田氏に限らず、一九六四年に寄贈されて以降、歴代大臣は一人として史料があるとは述べていないんですね。この文書が公開されたのは二〇〇四年ですが、その年、九月まで防衛庁長官を務めておられたのは総理です。証拠を隠して国会と国民に偽りを述べてきた、その責任は重大だと思うんです。
総理、これは公文書ですよね。
○内閣総理大臣(石破茂君) それは、日誌自体は私文書です、それは。(発言する者あり)いや、ですから、議論を整理しないと、聞いている人、何が何だか分からないですから。それ自体は私文書です。そこについては疑いのないところ。ですから、これを当時の防衛研究所がお預かりをいたしましたということでこういう文書が作成してあるわけで、これは行政文書ではございません。これを、存在するということを確認をしておるという意味では公文書でございます。
○山添拓君 ですから、その公文書があるということ、七三一部隊に所属していた軍医が記して持ち込んできた文書があるということを、政府はこれまで隠してきたんですよ。知りながら隠してきたんですよ、少なくとも四十年にわたって。(発言する者あり)そんなことはない。ちょっと止めてくださいよ、そんなことはないとおっしゃったんですけど。
○内閣総理大臣(石破茂君) この文書自体は公開をしてきておるものでございまして、これを秘匿したということはございません。これはございません。公開はいたしております。
ですから、ここは議論を整理しないと、何が何だか分からない。(発言する者あり)
○委員長(鶴保庸介君) 総理答弁中です。
○内閣総理大臣(石破茂君) それは、その日記自体は私文書であって、先ほど来防衛大臣がお答えをしておりますように……(発言する者あり)
○委員長(鶴保庸介君) 総理答弁中です。
○内閣総理大臣(石破茂君) この内容について真正かどうかということは、もう歴史の経過とともにそれを真正かどうか確認できるすべを私どもとして持たないのであって、隠してきたとかそういうことではございません。
○山添拓君 総理が整理されるべきだと思います。
私は、先月、元七三一部隊の少年隊員で長野県にお住まいの清水英男さんにお話を伺ってきました。現在九十四歳。一九四五年一月、十四歳のときに、学校の卒業前に担任の先生から満州国に行かないかと声を掛けられ、何をするか分からず、一切聞かされずに行ったと。標本室でホルマリン漬けの心臓や肺や胃や腸、赤ちゃんのものも見た。これは大変なところだと分かってくるうちに終戦になった。終戦時には、特別監獄でマルタの骨を拾って、爆破の手伝いもさせられたと言います。昨年、初めて中国の部隊跡を訪ねて、犠牲者への謝罪の旅もされました。清水さんは、私たちが謝っても謝ったことにならない、政府に本当のことを言ってもらいたいとお話しでした。
総理、こうして今も苦しみを抱え続けている元隊員の方がおられます。しかし、私は、一個人が負うには余りにも大きい過去だと思います。政府として、加害の事実を真摯に検証して事実を認めていく、戦後八十年に当たって必要だと思います。総理に最後に答弁いただきたい。
○委員長(鶴保庸介君) 申し訳ございません、時間がもう来ておりますので。(発言する者あり)いえ、もうルールでございますので。
一言答えられますか、総理。じゃ、コンパクトによろしくお願いいたします。
○内閣総理大臣(石破茂君) それは事実かどうかということをきちんと検証もすることが必要で、その手だてというものが歴史の経過とともにそれは失われたということを申し上げておるのでございます。そういうことを糊塗したり、責任を回避しようとか、そういうことを申し上げているわけではございません。我が政府はそのような不誠実な政府ではございません。
○委員長(鶴保庸介君) 時間です。
○山添拓君 四十年隠し続けてきたということを述べたんですよ。
○委員長(鶴保庸介君) 時間です。
○山添拓君 戦後八十年、これ以上は目を背け続けることは許されないと、このことを述べて、質問を終わります。