2020年・第201通常国会
- 2020年6月2日
- 法務委員会
危険運転致死傷罪の改正案について参考人質疑
- 要約
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- 法務委員会で、危険運転致死傷罪の改正案について参考人質疑を行いました。 『もう少し科学的な捜査の仕組みを考える必要がある』 『経緯を見ないと犯罪かどうか分からない』 『一瞬で起こる事故。供述調書に頼るのではなく、映像があるなら映像で』など、『立証は丁寧に』との意見が相次ぎました。
○委員長(竹谷とし子君) 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、参考人の皆様から御意見を伺います。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、本案の審査の参考にしていきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
議事の進め方について申し上げます。
まず、今井参考人、松原参考人、柳原参考人の順にお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
また、御発言の際には、挙手をしていただき、その都度、委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願い申し上げます。
それでは、まず今井参考人にお願いいたします。今井参考人。
○参考人(今井猛嘉君) おはようございます。
ただいま御紹介にあずかりました法政大学の今井でございます。本日は、このような機会を与えていただき、光栄に存じます。
お手元に本日の私の意見の要点を書きました配付資料があるかと存じます。その三ページ目には、議論されております法律案の五号と六号につきまして私なりに整理したものがございますので、適宜御参照いただければと存じます。
私は、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律、以下ではこれを本法と呼ぶことがありますが、その法律の一部を改正する法律案の審議をしました法制審議会の部会に委員として参画しておりました。
そこで、本日は、本法案に賛成する立場から若干の意見を申し述べたいと思います。
本法律は、危険な運転をした結果、人の死傷という結果が生じた場合に行為者を危険運転致死傷罪として処罰することにしています。危険運転致死傷罪という犯罪は、日本では二〇〇一年に新設されましたが、同種の犯罪類型は、特に英米法においてそれ以前から存在します。モータリゼーションにより自動車の利便性が確認されるとともに、その走る凶器としての性質も遺憾ながら認識されたために、この凶器を利用した結果として、人の、結果としての人の死傷に対しては、モータリゼーションで先んじていた英米法において先行する形で危険運転致死罪が構想されてきたところです。
日本では、そうした他国の状況も踏まえつつ、従前の解釈、例えば、並走する車両に幅寄せをしてその安全な走行を困難にする行為が刑法の暴行罪で処罰されてきた等を踏まえまして、例えば、制御できない高速度での自動車走行を暴行罪に匹敵する、人の生命、身体を侵害する危険性を有する行為として捉え、その結果として人が死傷した場合に危険運転致死傷罪という犯罪を新設したものであります。これは十分な理由があったことであります。
そこで処罰の対象となりますのは、人の死傷という結果を惹起した自動車の運転であります。これが危険運転として整理されます。換言しますと、人の死傷という結果発生の因果の起点となる悪質で危険な運転が危険運転として構想されてきたところです。
本法案との関係では、本法第二条第四号に規定されております危険運転の意義が重要です。そこでは、「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」が危険運転として定義されています。
犯罪は、その客観面と主観面から分析することでその内実が理解されるのですけれども、これが先ほどの配付資料の三ページに私が書いているところなのですが、先に、四号については書いておりませんので口頭で申し上げますと、四号所定の罪の客観面は、他車の直前に進入するか、他者又は他車に著しく接近する、これを第一の要件といたします、かつ、重大な交通の危険が生じることとなる速度で自動車を運転すること、これを第二の要件としますが、この二つから成り立っています。他方で、その主観面は、客観面を認識した場合の故意と、故意とは別に要求されている通行妨害目的であります。
従前はこの第二条四号によって事件処理がなされてきたのでありますが、当罰的で危険な走行でありますが、四号によって把握できない事例が現れました。これが皆様御存じのいわゆる東名高速あおり事件であります。事案の詳細は省略いたしますが、その控訴審判決におきまして、東京高等裁判所は、被害者車両の直前に加害者車両を停止させた被告人の行為は本法第二条第四号に該当する運転行為に該当しないとして、同様の判断をした第一審判決に誤りはないものとしております。
この事件はまだ終局に至っておりませんが、四号の客観的要件として挙げましたさきの二、すなわち速度要件を満たさない行為でも危険運転に整理すべき走行があるのではないかという問題を提起したものであり、大変重要です。この事件は高速道路上で生じていますが、高速での走行が基本とされている場面での低速走行及び停止等は他の車両との関係で危険です。この理解を一般化しますと、加害者が走行していた車両と被害者が走行した車両との相対速度が、被害者、さらには第三者が走行させた車両の安全な走行に悪影響を及ぼすことが示されたと言えます。この認識に基づき危険運転の概念を再整理しようとしたのが本法案であります。
そこで、本法案の具体的な内容につき入ってまいりますけれども、そこでは、御案内のように、第五号と第六号を追加することが想定されています。繰り返しますが、それらの構造につきまして、私の理解につきましては配付資料の三ページに図示してございます。
まず、第五号ですが、ここでは加害車両には重大な交通の危険を生じさせる速度での運転は要求されていません。この点で第四号とは異なる規定ぶりです。それは、第五号では、加害者車両が低速で走行していても被害者車両との相対速度により人が死傷する危険が十分あり得ることが着目されているからです。具体的には、そのような被害者車両に低速で接近等することでも被害者車両の通行妨害が可能となります。
とはいいましても、そのような接近は、例えば、加害者車両の前方に認識された障害物や低速で走行中の先行車両を回避するための運転としてもなされ得るところは経験が示すところであります。そうした行為の全てを危険運転として処罰しますのは本法の趣旨に反しますから、第五号による処罰範囲を適正なものに限定するために、次の目的要件、すなわち車の通行を妨害する目的が要求されています。
第五号所定の罪の故意は、犯罪事実の認識又は予見、すなわち自らが運転する車両が重大な交通の危険を生じさせる速度で走行中の被害者車両に接近等することの認識又は予見ですから、通行妨害目的というものは故意とは別個の主観的責任要素であります。これによって本罪の成立範囲を限定することが期待されています。
そのような犯罪成立の機能を担うべき要件ということから考えますと、この目的としては被害者車両の通行を妨害することの積極的な意欲が必要と解すべきだと思います。もしかしたら被害者車両の通行を妨害するかもしれないとの認識が加害者車両の運転者の頭の中をよぎった場合、五号の罪の未必の故意というものは認められますけれども、通行妨害目的は認定できず、したがって本罪は成立しないことになると思われます。
続いて、第六号に参ります。
第六号では、加害者車両、被害者車両及び被害者車両に衝突等するであろう第三者の車両が、いずれも高速自動車国道又は自動車専用道路を走行していることが前提とされています。そこでは、一般道に比べて高速での走行が予定されており、かつ駐停車は原則として禁止されています。以下では、加害者車両A、被害者車両B、第三者車両Cとしまして、典型的な事例をお話ししたいと思います。
例えば、Aが通行妨害目的でBの前方に停止しましたが、そのことでBが停止又は徐行するに至りました、その後、CがBへの追突を回避できなくなり衝突し、B又はCの中にいた運転者が死亡したという事例であります。
この事例では、Aの運転者には、B車又はC車の運転者の死亡につき、本法第二条第六号により危険運転致死傷罪が成立し得ます。また、A車の走行は、B車が重大な交通の危険を生じさせる速度で走行中であった場合、第五号の行為にも該当します。さらに、A車自身がそのような重大な交通の危険を生じさせる速度で走行していれば、四号の行為も該当します。
このように、この事例でのAの走行は、本法で想定されています六号に加えて、五号、四号でも捕捉可能であります。それらの罪は、最終的には包括一罪という評価になろうと思います。このように、第四から想定されている五、六号の罪は互いに排斥し合うものではありません。どの罪が成立するかは個々の事案の証拠関係によって解決されるべき問題だと思われます。
ただし、ここでも注意すべきことは、いずれの罪を検討するに際しても、Aの走行とそれからB又はCの死亡との間の因果関係を厳格に認定すべきだということであります。因果関係の概念については様々な理解がございますが、判例では、行為に内在した結果発生の危険性が結果としての法益侵害として自己実現したかという規範的な観点が重視されています。実際には、行為から結果が生じたことが極めて異常でない限り、因果関係が肯定される傾向にあります。この点については、学説上は議論がありますけれども、刑事罰の新設は少なくともその時点での判例を踏まえたものであるべきでしょうから、上のような理解が可能だということになります。
この判例の理解に沿った場合でも、さきの例で、Aによる危険運転とB又はCの運転者の死亡という結果との間の因果関係が否定される事例は想定可能であります。
例えば、渋滞中の高速道路で多くの車両が徐行や停止を繰り返しているときに、Aが停止し、よってBに著しく接近した後に、CがBに衝突して、B、Cが傷害を負ったという場合です。この場合、B又はCの傷害は、Aの停止、接近行為による結果とは言えない場合が考えられます。
具体的には、B又はCの傷害は渋滞中のB又はCの不注意な運転操作が主たる原因であると事後的に判明した場合だと思われます。また、渋滞により他の走行車両が徐行や停止を繰り返しているという状態が解消された後にCがBに衝突し、B、Cが死亡したという場合、一般的にはAにこの場合でも六号の罪が成立する可能性がありますが、ここでも因果関係が検討されるべきです。
この場合、Cにおいて、Bが前方に停止していることを認識又は予見し、Bへの衝突を回避する十分な余裕があった場合などが考えられますが、そうした場合にはCの死亡に対するC自身の過失行為による寄与が大きいと思われ、このような場合にはCの死亡とAのBへの接近との間に因果関係が否定されることになると思います。
このように、第二条第五、六号として想定されている危険運転及びそれに起因する危険運転致死罪の成立範囲は決して無限定なものではありません。
以上述べたことを以下確認します。
第一に、限定の契機でありますが、運転の危険性を精査することが必要です。さきの例で、Aに相当する車両の走行を第五、六号の対象から、その危険性に着目し、除外することは可能であります。ただし、被害者車両が十分な高速走行をしていない場合には、A、あっ、済みません、被害者車両が十分な高速走行をしていない場合にはAに相当する加害者車両性の認定にはおのずと限定が掛かるであろうということであります。
第二に、繰り返しになりますが、因果関係による本罪の限定可能性であります。因果関係の有無は先ほど言ったようなかなり規範的な命題により処理される傾向にあります。規範的であるがゆえに、他の犯罪類型では、例えば殺人罪等では行為者の主観、動機等を踏まえて因果関係を否定しないという傾向も見られるところであります。
しかし、本法案が想定します車両の走行による人の致死傷では、道具としての車両の挙動を客観的に測定することが事件処理の中核となりますので、客観的な証拠、例えばブレーキ痕、車内に設置されたイベント・データ・レコーダーに残された電子ファイル、高速道路の側道に設置されたカメラに残された記録等から、車両A、B、Cの挙動が客観的に認定できます。それらを用いることで、第五、六号で構想されています犯罪の客観的要件は十分立証可能だと思います。
また、主観的要件も、客観的な事実に関して、客観的要件の存在があってのものでありますから、先ほど申したように、例えばいろいろな情念によって起こされることもある殺人罪等と比べますと、通行妨害目的の認定もより客観的、安定的になし得るのではないかと思います。
以上申し上げてきましたように、私は、第五、六号において想定されている新たな罪は、現時点で、その抑止が強く要請されている危険運転を適切に概念化し、刑罰の対象として認定したものだと評価しております。
あおり運転については、国際的に見ても共通の定義がございません。例えば暴走族等が大音量を上げて集団で走行することも日本ではあおり運転として理解することは不可能でありませんけれども、本法案では、あくまで本法の中での危険運転という視点から把握可能な走行を着目したところです。
この観点からは、加害者車両が低速であり、被害者車両の直前で停止する行為に典型的に示されているように、従前は危険運転として認識されることの少なかったが実は大変に危険な走行類型を認識する必要があります。本法案はこの点を認識させるものでありまして、改正道路交通法とともに、直接、あおり運転と言われるものの中核的な部分を適切に規制することが必要です。
今後は、今も申しましたが、改正道交法や本法案によって直接には規制されていない様々な周辺的な運転にも着目する必要があります。そこでは恐らく交通心理学の知見を十分に活用することがあるかと思います。
以上が私からの意見です。御清聴、誠にありがとうございました。
○委員長(竹谷とし子君) ありがとうございました。
次に、松原参考人にお願いいたします。松原参考人。
○参考人(松原芳博君) 御紹介いただきました早稲田大学の松原でございます。
このような場でお話をさせていただき、光栄に存じます。
本日は、刑法解釈学の見地から、本法案について所見を述べさせていただきます。一枚のプリントをお配りしたので、参照してください。
結論を申し上げますと、後に述べますような因果関係をめぐる課題はありますものの、今回の法案は基本的に支持できるものと考えます。
今回の改正は、東名高速あおり運転事件を契機とするという経緯から見ましても、現行四号の妨害運転類型の補充規定として意図されたものです。したがって、法案五号、六号に対する評価は、四号と同等の当罰性を有する行為を一定の明確性を持って記述できているかに懸かっています。
四号は、重大な交通の危険を生じさせる速度、以下、この速度を危険速度と呼び、この要件を速度要件と呼びますが、この危険速度をもって行為者車両が被害者車両に接近する行為を実行行為とします。東名高速あおり運転事件で直前停止行為の実行行為性が否定されたのは、被告人の直前停止行為が速度要件を満たさないからでした。しかし、妨害運転によって重大な交通の危険が生ずるのは、行為者車両が危険速度であった場合に限らず、被害者車両や第三者車両が危険速度であった場合も同じです。そこで、被害者車両が危険速度であった場合を捕捉するものとして五号が、第三者車両が危険速度であった場合を捕捉するものとして六号が新設されることには合理性があるものと考えます。
もっとも、行為者車両ではなく被害者車両や第三者車両の速度に由来する危険を処罰理由とするのであれば、実行行為を運転に限定する必要はなく、走行中の自動車の前にブロックを投げ込むといった行為を五号、六号の実行行為から除外する理由は失われるのではないかという疑問も生じます。
しかし、本罪は、自動車運転処罰法上の罪であり、特に四号の妨害運転罪の補充類型であること、運転以外の危険行為は多種多様であり、個別列挙は困難であるが、さりとて包括的な規定では明確性を期し難いことから、実行行為を運転行為に限定したことには合理性が認められます。他の方法による妨害には、殺人罪、傷害致死罪、往来妨害致死傷罪等で対処すべきものと考えます。
ところで、六号には速度要件は規定されていません。高速道路という場所の要件によって代替させています。この点から、渋滞中における低速走行中の事故についても形式的には六号の構成要件に該当するという問題が生じます。しかし、このような場合は重大な死傷結果が生ずる危険が類型的に高いとは言えず、四号と同等の当罰性は認め難いところです。
この点につき、法制審議会の刑事法部会では、六号の実行行為が予定している危険の現実化がないので因果関係が否定されるとの説明が事務局からありました。刑法解釈学の見地からはこの説明は極めて正当なものであると思います。因果関係は危険の現実化と言われますが、この危険の現実化という公式自体は白地手形のようなもので、実際に結果が発生した以上、危険の現実化は常にあるとも言えるのです。
重要なのは、当該構成要件が禁止の理由とした危険が結果に実現したかどうかです。特に、結果的加重犯においては、基本犯に内在する類型的な危険が結果に現実化して初めてその重い法定刑を正当化できると考えられます。
法案六号に関して言えば、高速道路という要件において立法者が予定した危険は、自動車が、少なくとも四号、五号の速度要件に相当する速度で走行している状況下での追突等の危険を予定しているのであって、関係車両が全て低速度であるような場合には本罪の予定する危険の現実化が認められないという解釈は理にかなったものであり、私もこれを支持したいと思います。
しかし、このような危険の現実化に関する限定的な理解がどこまで現在の裁判実務に浸透しているのかに私は疑問を持っております。
最高裁平成十五年七月十六日決定は、マンションの一室で執拗な暴行を受けた被害者が、隣人が苦情を言いに来た隙に靴下履きのまま逃げ出し、十分後、八百メートル離れた高速道路に侵入し、自動車にひかれて死亡したという事件で、当初の暴行と死亡結果との間の因果関係を肯定し、傷害致死罪の成立を認めました。
しかし、傷害致死罪が特に重く罰せられる理由が暴行、傷害に内在している死の高度の危険の現実化にあるとすれば、同罪の構成要件は行為者によって加えられた有形的作用ないし生理的作用の現実化によって死亡結果が生じた場合を予定しているのであって、被害者の逃避行動に起因する交通事故による死亡は構成要件の射程外というべきではないでしょうか。
また、今回の法案の契機になった東名高速あおり運転事件では、検察官は、高速道路上では時速ゼロキロも危険速度であるという論理で被告人の直前停止行為を四号の実行行為と見て危険運転致死傷罪の成立を主張しました。これに対して一審判決は、速度要件を満たさないという理由で直前停止行為を同罪の実行行為から除外しつつ、それに先行する四回の割り込み行為及び時速二十九キロメートルまでの減速行為を実行行為と見た上で、この四度の妨害運転と追突事故との間の因果関係を肯定いたしました。
しかし、四号の構成要件が予定している危険は、危険速度が規定されている趣旨や著しく接近することが要求されている趣旨からして、加害車両との接触による危険や接触回避のためのとっさの行動に伴う危険であると考えられます。被害車両の停止後の第三者車両の追突による死傷結果を当初の割り込み、減速行為に内在する危険の現実化と見ることには無理があるように思われます。被害者車両の停止は、四度の妨害運転の結果ではなく、まさに被告人の直前停止行為の結果です。
そこで一審は、被告人は、被害者車両を停止させ、文句を言いたいという一貫した意思の下で四度の妨害運転に及んだことから、直前停止行為は四度の妨害運転と密接に関連する事実であるとして、因果関係判断に組み入れています。
しかし、意思の一貫性は、妨害運転自体の危険性を基礎付けるものではありません。一審の論理は、密接関連性というマジックワードを用いて実行行為から排除されたはずの直前停止行為を再び実行行為に取り込むものであって、罪刑法定主義の潜脱ではないかという疑義を免れません。
控訴審判決も、一審と同様、四度の妨害運転と結果との間の因果関係を認めました。その理由は、高速道路上で被害者車両の直前への進入等を繰り返す行為は、被害者車両に対し強引に停止を求める強固な意思を示すものであって、その運転者らに多大な恐怖心を覚えさせ、高速道路の第三通行帯に停止するほかないとの判断を余儀なくさせるというものです。
しかし、四号がとっさの回避行動を超えてどこまで心理的影響を通じた危険を射程としているのか疑義があるほか、本件では、被告人の直前停止行為が被害者車両の停止の必要かつ十分条件であって、先行する妨害運転の有無やその際の加害者車両の速度は結果に有意な影響を及ぼしていないように思われます。
実際、一審判決までのメディアの論調は、本件は直前停止行為を実行行為と見ない限り危険運転致死傷罪には問えないとするものでした。検察官も、同様の理解から、直前停止行為の実行行為性に固執するとともに、それが否定された場合に備えて監禁致死傷罪を予備的訴因に加えたのでした。私も、本件の焦点は、直前停止行為が危険速度による運転に当たるかであると考えていました。そして、時速ゼロキロを危険速度と解釈することには無理があるので、本件は過失運転致死傷罪に落ち着くのではないかと予測していました。大多数の法律家にとって、直前停止行為をまたいで先行する妨害運転と追突事故とを因果関係で結び付けることなど思いも寄らなかったのです。
以上のような裁判例を見ますと、果たして法制審の事務局説明のような因果関係による限定が保証されているのか、疑念がないわけではありません。なお、事務局の説明を、因果関係自体の限定ではなく、因果関係の前提としての実行行為性の限定として捉え直す意見もありました。しかし、六号で問題となる危険速度は追突事故などの中間結果に関連するものなので、厳密には被告人の行為の後の事情と見るべきですから、やはり、実行行為性ではなく、危険の現実化の問題と見るのが正しいと考えます。
以上のように、解釈上の限定の保証がないことから、法制審の部会でも明文の文言による限定が検討されています。まず、危険速度で走行がなされている高速道路においてと規定する提案がありました。しかし、前述のように、危険速度は追突などの時点で要求されるべきであるのに、本提案によれば、被告人の行為の時点における要件になってしまいます。
次に、四号、五号とのすみ分けから、停止車両に衝突する第三者車両について速度要件を付することが考えられます。しかし、本法二条は、柱書きに死傷結果、各号に実行行為を規定する形になっていて、衝突といった中間結果にまつわる事情を書き込む場所がありません。こうして六号に速度要件を書き込むことが困難であるとすれば、法制審の事務局説明のように、本罪の予定する危険という観点から因果関係を限定するほかありません。その際、法制審で因果関係の限定的理解に一定のコンセンサスがあったことは大変重たい事実であって、心強く思います。これを機会に、構成要件の予定した危険に即した実質的な危険の現実化の判断が浸透し、定着していくことを期待いたします。
また、前述のとおり、私は東名高速あおり運転事件において、先行する妨害運転と追突事故との間に刑法上の因果関係を認めることには無理があると考えております。六号の新設により、直前停止行為が正面から本罪の実行行為に取り込まれることで、因果関係の不当な拡大に歯止めが掛かることを期待いたします。
私の意見は以上です。少しでも参考になりましたら幸いです。
○委員長(竹谷とし子君) ありがとうございました。
次に、柳原参考人にお願いいたします。柳原参考人。
○参考人(柳原三佳君) 柳原三佳と申します。
私は、今回、このような法案の会議に参加させていただいて本当に有り難いと思っているんですけれども、私自身は法律の専門家ではありません。ただ、約三十年間にわたって交通事故被害の取材を続けてきまして、過酷な被害の現実を目の当たりにしてきました。そして、多くの被害者や御遺族が本当に苦しみの中から声を上げて、そして数々の法律を変え、また被害者の支援体制を構築する、そういう場面に臨場してきました。
取材を始めた当時というのは、全てのもうどんな悪質な事故でも過失で処理をされて、当時のことから考えますと、もう本当にこの三十年間で、まあもちろんその交通事故の件数、死亡事故死者数も含めてですけれども、本当に隔世の感があります。しかしながら、現在でも、もう残念なんですけれども、信じられないような悪質な運転者がいまして、そして重大事故を起こし、かけがえのない命が奪われ続けています。
例えば、今回コロナの問題でたくさんの小中学生が自宅待機ということになりましたけれども、私は本当にこれ危険だなというふうに思いまして、何度も記事をこの三月、四月書いてきました。けれども、記事を書くたびに、毎週のように新たな犠牲者が生まれている。本当に恐ろしいことだと思っています。
実は、私自身は、長年バイクや車を非常に愛好してきました。特にバイクに関しては、趣味として十代の頃から、原付のスクーターから始まって、中型免許そして大型免許も取り、ナナハンにも乗って、もう全国各地をツーリングするという、そういうふうなことをしてきました。
実は、私がその交通事故の記事を書くようになったきっかけというのは、まず原点はここにありまして、友人が、やはりバイクに乗っている人たちが結構相次いで亡くなったという経験をしています。そこで、やはりほとんどの方が単独事故で亡くなっているんですけれども、なぜこんな場所でこんな亡くなり方をしたのかというのが分からない、そういうケースが非常に多いんですね。ひょっとしたら直前にあおられたんじゃないか、幅寄せされたんじゃないか、何か危険な物を投げられたり、いろんなことがあったんじゃないか、そんなことを想像するんですが、結局そういうことはもう闇に葬られたまま、分からないまま終わっています。
先ほど今井先生が二ページ目で追突事故のケースを言ってくださいましたけれども、例えば最初にその原因をつくったA車というのが高速道路で逃げてしまったらどうなるでしょう。多分、昔だったら、もうドライブレコーダーもありませんし、ほとんどのケースが、そのあおりなり妨害運転をした人たちは、そのまま後ろで事故を誘発したまま逃げる、こういうことをしてきたんじゃないでしょうかと、そういうふうに思います。
こういうこともあって、私はその第三の他者、単独事故における第三の他者の存在というものをすごく今まで気にして取材活動を続けてきました。ですから、そういう意味においても、今回の法律改正案というのは、もう悪質で危険な運転行為を行う運転者を厳正に裁くためにはもう絶対に必要だと思いますので、長年運転を続けてきたドライバー、ライダーの一人として賛成したいと思います。
ただし、その上で、こういうあおり運転を始めとする危険運転、その後の裁判の現実、こういうことを知っていただいて、そして、法改正の後、犯人の逃げ得ですとか、それから逆に冤罪ですね、結局その後ろで事故を起こした人というのは、もう何というのか、不可抗力、避けることのできない事故を起こしてしまっていると思うんですが、そういうことも決して許してはならないということですね。そういう事件を一件でも減らすために、実際にその交通事故問題にこれまでたくさん被害者や御遺族の方々が取り組んでこられましたが、そういう方々の御提言も共に今回紹介したいと思います。
このレジュメに基づいて、もうざっと流していきたいと思うんですけれども、まずちょっと、交通事故の死者というのがどれぐらい生まれているかということなんですけれども、ちなみに、この今新型コロナウイルスで全世界の死者数というのが五月三十日現在で三十六万四千四百五十九人ということになっていますけれども、これ、二年前にWHOのテドロス事務局長が言っているんですけれども、交通事故による全世界の一年間の死者数というのは、一年間にですよ、百三十五万人、地球上で。二十四秒に一人のペースで交通事故で亡くなっています。テドロスさんはこのときに、交通の代価として容認できない犠牲だと、これは解決策が既に分かっている問題だというふうに二年前におっしゃっています。
解決策が既に分かっている、これはすごく大きな言葉だと思うんですけれども、私はどちらかというとこの部分に焦点を合わせて、今からその五つの点について述べたいと思います。
まずは一番目。このあおり運転というのは、もうとにかく今始まったことではなくて、過去にたくさん起こってきたと思うんですけれども、結局、客観的な事実関係が非常につかみづらいということで極めて困難です、これを立件するのは困難なのが現実だと思います。
それで、先ほど冒頭にも申し上げたように、不可解な単独事故、この直前に第三の他者が絡んでいないかどうかという問題、それから、今回の法律の改正の中で、非常に、後ろの車を急に停止させるような感じで割り込んで低速で車を止めるとか、そういう悪質な運転というのがあるんですけれども、これが妨害という目的だけではなくて、私は結構保険金詐欺にも今まで使われてきたんじゃないかと思っています。
つまり、自分の車を急に止めて後ろの車に自分がぶつけてもらえれば、形的には追突事故になるわけなんですけれども、追突事故というのは基本的に追突した方が悪いというふうに取られますから、事故をつくった悪い本人たちが結局保険金を得られる。実際、こういう事故を取材したことも私はあります。結局、こういうふうなことも問題にしていかなければならないんじゃないかなというふうに思います。
結局、最近のそのあおり運転がここまでクローズアップされたのは、あそこまでクリアな、もう本当に鮮明な映像が残っていたからですよね。もしあれが、ドライブレコーダーの映像がなければこういうふうに立件できたんでしょうか。恐らく、あれがなければそのまま逃げられていたと思います。
ですから、こういう法律とともに、やはりドライブレコーダーの装着の義務化、最近はオートバイ用のドライブレコーダーもちゃんとありますので、こういうものを是非装着するようにする。そしてまた、そのドライブレコーダーのデータを、じゃ誰のものとするのか、加害者が自分の不利なデータを消さないように、その辺りまでしっかりとチェックして、何かこうルールをつくっていただきたいなというふうに思います。
それから二番目ですけれども、この悪質事故というのはもう本当に遵法精神のない悪質なドライバーによって繰り返し起こっています。これはちょっと一般のドライバーの感覚では考えられないようなことが行われているんですね。
私、今日はこの資料の中に過去の記事を添付させていただきました。二〇〇二年とそれから二〇一四、五年に書いた記事だと思うんですけれども、ここに本当に信じられないような悪質な事故の被害に遭われた御遺族の話をたくさん載せています。こういうものを見ていただいて、そして、とにかくこんな悪質な人たちにどう対処していけばいいかというところを念頭に置いていただきたい。
特に私が深刻だなと思っているのは、週刊朝日の二〇〇二年の記事の中の三十九ページにその記事を書いているんですけれども、当時は飲酒運転の厳罰化という議論が行われていた時期でした。ところが、これが法律を改正される前にその議論がメディアで取り上げられたことによって、当時八千七百八十一件だったひき逃げ件数が何と僅か二年で一万六千五百三件、二倍に増えているんですね。つまり、罰則が厳しくなるというのは、じゃ逃げればいいやと、逃げなければならないと、そういうふうにひき逃げや当て逃げ、逃げるというような行為を誘発することもありますので、ここで是非お願いしたいのが三番なんですけれども、悪質ドライバーの逃げ得は絶対許さないために徹底的な捜査を行ってほしいということなんです。
例えば、高速道路だとか道路にはNシステムといってナンバーの自動読み取り装置みたいなのが付いていると思うんですけれども、こういうものを徹底的に捜査に活用する。東名高速のあおり運転事故ではこれが活用されたというふうに伺っていますけれども、普通のひき逃げ事件のレベルではなかなかNシステムまでは使ってもらえないというのも聞いているんですけれども、この辺りを是非、何というんですかね、アピールしていただいて、その悪質な人たち、君たち逃げても駄目だよ、それから、そういう犯罪犯したらいけないよという抑止力に是非使っていただきたい。
そしてまた、このひき逃げとか当て逃げという行為が、今時効が七年なんですね。犯人が七年逃げ続ければ、もう時効になってしまう。だから、こういうことも併せて、法律的にはなかなか改正は難しいというふうには伺っていますけれども、この辺りも是非検討していただきたいなというふうに思います。
それから四番目。危険運転致死傷罪というのが、すばらしい、何というんでしょう、悪質な運転を排除するためにはいい法律なんですけれども、現実には適用率が非常に低い。もう相当悪質な事件でも大体は過失ということで処理されている。こういう現状も先ほど添付した記事の中に実例を入れているので、是非御覧いただきたいと思います。
そして最後にですけれども、五番目。車を凶器にしないための取組ということ、ここは一番強調したいところですけれども、本日、この委員会にもクルマ社会を問い直す会の方が傍聴に来てくださっています。お一人は、十七年前に青信号を横断中の六歳のお嬢さんが左折巻き込みのダンプにひかれて亡くなっています。そういう大変な思いをされた御遺族が一生懸命今まで活動して、そして彼らの思いというのは、とにかく再発防止、同じような思いをする遺族を出したくないということで闘ってくださっています。
また、創立二十年になりますが、北海道交通事故被害者の会の代表の前田敏章さんと二日前にいろいろ電話でお話をしました。前田さんはこうおっしゃいました。刑罰とは被害者遺族の報復ではない、これは社会が科すものだ、私たちの願いは、こんな苦しみ、悲しみは私たちで終わりにしてくださいというそれが心からの叫びです、厳罰化は間違いなく抑止力となります、しかし、もちろんそれだけで事故はゼロにはなりません、車を絶対に凶器にしない、そのための根底の施策を総合的に全て行うことが肝要と、冷静に考えています。
この北海道交通事故の被害者の会では、本当に毎年大変具体的で中身の濃い要望書を国の方に提出しておられます。是非この会の要望内容を御覧いただいて、具体的に、この厳罰化ももちろん大切だけれども、その裏側で事故をなくす施策というものを真剣に考えていただきたいなというふうに思います。
最後に、この解決策としてその提言の一例なんですけれども、まずはこういう悪質ドライバーをどのように排除するか。例えば、免許の資格の厳格化、ドライバーの適性検査ですね、認知機能、健康状態の適正な判断と、そういうものも、交通教育とかも幼いときからやっていく。それから、歩行者が青信号で横断中に絶対に犠牲者を出さないために、この歩車分離信号というものがあるんですけれども、要するに、歩行者が青のときに全ての車を赤で止めましょうという、スクランブル交差点みたいな、ああいうふうなものをどんどん導入すれば、本当に弱者の、ルールを守っている子供たちの命が守られるんじゃないかというふうに思います。
それからまた、速度ですね、車の速度が、スピードが出ると重大事故が起こります。今回、コロナの影響で交通量は激減して交通事故件数自体は減ったというふうに言われているんですが、残念ながら都市部ではそのスピードが上がってしまって、そして死亡事故が増えているという現実があります。この辺りから見ても、やはり速度をいかに落とすかというところ、要するにセーフティーゾーンでは速度をきっちり落としましょうということを徹底していくべきだと思います。
それから、最近よく問題になっているアクセルとブレーキの踏み違い事故、これも、すごい、物すごい件数起こっているんですね。でも、これも、車の方にアクセルとブレーキの踏み違いを防止する装置、例えば、私、パニックレスアクセルペダルというものをこの間付けた自動車に試乗してみましたけれども、これはもうアクセルを思い切り踏み込んだときに自動的にペダルがぱんと外れるような仕組みになっていまして、絶対にこの機械を付けていればあんな悲惨な事故は起こらないのに、というのをもう痛感したんですね。
こういうことで、今私たちがやるべきこと、やるべき対策、たくさんあると思います。これを一つ一つ検討して、そしてこの法律とともに悪質運転を排除していくと、そういうことを是非御検討いただきたいと思います。
ありがとうございました。
○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
今日は、参考人の皆さん、大変ありがとうございます。
初めに、柳原参考人に伺います。
被害者の御遺族や現場で取材をされて、危険で悪質な事故を起こしても、被疑者や被告人の言い逃れによって適切な罪が適用されないとか、あるいは証拠不十分で不起訴となると、こういう事例も直面されたことかと思います。
事故を防ぐことがもちろん大前提ですけれども、重大悪質な事故で適切また妥当な刑罰が科されるためには、そしてまた冤罪を生まないためにも、必要な証拠が十分に収集されるということが大事だと思います。ドライブレコーダーですとか車内カメラが普及をして、事故の状況を客観的に証明するその手段も増えてきましたけれども、この間の、最近のいろんな取材をされる中で、捜査による証拠収集の在り方について、参考人の方でお考えのことを、お感じのことを教えていただけますか。
○参考人(柳原三佳君) ここ数年で、そういう捜査に対しての被害者遺族の方々からの意見、こういうものが高まってきて、そしてまた、刑罰が重くなると、当然その捜査をきっちりやらないと起訴もできないということで、私が取材し始めた当時から見れば随分改善されてきたんではないかというふうには思っています。けれども、やはりその一瞬で起こる事故で、やはり被害者の多くが事故直後の現場に臨場できないという、亡くなったり救急車で運ばれたりということで、そして、生きている人の方の言い分が通ってしまうというのは、もう今でもやっぱり続いています。
やはり、今現在のその交通事故の捜査の成り立ちというのを見たら、やはり供述調書というものにのっとっていくわけですね。私は、何メートル手前で何キロで走っていて、そしてこうこうでぶつかりました。でも、その一瞬で起こる事故のことを、あそこまで、十センチ刻みの調書ができ上がっていくわけですよ。それが非常に私はもう何か、それを読むといつも思うんですけれども、それが基になって、いろんなその判決まで響いていくわけですけれども、要するに、もう前提が、供述調書のああいう書式というか、そういうもの自体がもう本当にこれ必要なのかなというふうに、はっきり言って思ってしまいます。
そうではなくて、もう映像があるんだったらその映像でいくとか、そういうふうにしていかないと、結局、言葉が上手な人、いろんなその抜け道を知っている人が得をするという、そういうことが今、これからも起こり続けるというふうに思っています。
○山添拓君 ありがとうございます。客観的証拠はやはり大事だと思います。
今井参考人に伺います。
本法案の直接の契機となったと思われる東名の高速での事故について伺います。
一審の横浜地裁は、四度の妨害行為を実行行為とし、それに続く直前停止行為を密接関連行為として、現行法の二条四号の危険運転致死傷罪の成立を認めました。この判断には異論が多いですけれども、高裁も法令適用の誤りはないと判断しています。私、法務省に伺いますと、法務省も、四号は適用し得るんだと、この事案で四号は適用し得ると考えているという答えでした。
しかし、そうなりますと、東名高速事故のような事案が再び生じた場合には、四号なのか五号なのか、あるいは六号なのか、これ明確ではなくなってしまうと感じます。やはり、四号というのは危険な速度での運転行為が結果を引き起こしたというものであって、東名のような事故は想定外だったと、だからこそこの法案が必要なのだと、こういうふうに考えるべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございます。
法務省がどのようにお考えかは私は直接存じませんけれども、このような法案が提出されたということを文言から解釈いたしますと、東名のあおりのように、停止したことにより事故が誘発されたと認定できる場合には、文言上、四号ではなく、五号又は六号に行くというのが自然な文理解釈ではないかと思います。
○山添拓君 ありがとうございます。
松原参考人に伺います。
先ほど意見陳述の中でも、因果関係による限定というのが機能しているのかどうか、解釈上の限定の保証がないということについての懸念を示されておりました。その上で二つの裁判例をお示しいただきましたけれども、これ、なぜこうして因果関係の解釈を緩めて、判断を緩めている事態になっているのか。
特に、東名のこの地裁あるいは高裁も含めた判断の仕方というのは密接関連性という文言ですけれども、これは松原参考人の判例批判の中にもある二〇〇四年の最高裁の常磐道に関する事故の、あれは業務上過失致死傷罪を認めたものですが、そこでの密接関連性という言葉に言わば乗っかった認定のようになっています。
なぜ、こうして裁判において因果関係の認定を広くあるいは緩く認めていく傾向が広がっているのかについて御意見を伺いたいと思います。
○参考人(松原芳博君) まず、社会的ニーズとして処罰欲求があるのは事実です。やはり、特に死傷結果が生じたという場合には社会にはそういう処罰ニーズがある。特に、やっぱり近年そのような処罰欲求が高くなっているというのは感じます。その原因、社会学的には大変興味深いところですが、ここでは立ち入りません。
他方、法律学の面でいきますと、判例が危険の現実化という公式を採用するようになりました。これ、白地手形なんです。何でも乗っかっちゃうんですよ。あると言えばあるし、ないと言えばない。つまり、危険の現実化という大変な便利な公式なだけに裁判所も検察も結構これ柔軟に使えるんじゃないのかな。私、危険の現実化という考え方自体には反対はしていませんが、それゆえに、柔軟であるからこそ、危険の現実化という公式は、当該構成要件の予定した危険は何なのかと、そこから出発しないとこの公式は無意味になるよということを申し上げたかったということでございます。
○山添拓君 ありがとうございます。今後の質疑にも参考にさせていただきたいと思います。
今井参考人、松原参考人に伺いたいのですが、通行を妨害する意図について、法務省の説明では、これは積極的に妨害を意図することだとされています。現行法の二条四号と変わらないという説明です。しかし、現行法の四号というのは、前方に車がいて、その直前に進入するとか著しく接近するとかいうものです。ですから、具体的にこの車を妨害しようという意図になるかと思います。
ところが、本法案の二類型については、加害者が後方を走行する車の存在を認識していなくとも、そのような車がいるのであれば嫌がらせをしようと考えて急停車する場合も妨害目的を満たすとされています。もちろん故意は必要ですが、走行中の車を認識している必要があるわけですけれども、それは未必の故意でよいとされますので、そうしますと、例えば、停車をしてしばらく時間がたって後続車が追突する、そして死傷の結果が生じる場合、いわゆるあおり行為がないような場合でも犯罪が成立し得るのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
○参考人(今井猛嘉君) 今委員が出された設例、確かにあおりとは言えないと思います。私の意見でも最初に申し上げましたように、いわゆるあおりと使っておりますが、ここでは東名高速を契機として、危険運転一般につき再認識されたものを拾い上げているという観点でございますので、まずそれを申し上げます。
それから、四号と五号、六号の差異は委員が御指摘のとおりでありますが、私も、五号、六号のときに、例えば車内からルームミラーを見て、ああ、後ろに車がいるんだなというときに、漠然とどういう車がいるかということの認識がある、これは未必の故意でありますけれども、その後にその妨害をしようという意欲は、意見でも申し上げましたけれども、その明確な意欲がなければ、茫然と寝ていて突っ込まれたときでも本罪が成立して不当でありますので、妨害する目的自体は明確にあってほしいと思っております。その意味で、法務省が言われているような理解でよいと思っております。
○参考人(松原芳博君) 確かに御指摘のように、四号の妨害目的は、事実上、妨害対象車がこれって特定しているんですね、事実上。それに対して、五号、六号の場合は相手の方の速度の問題なんで、妨害対象が特定していない。その意味で、事実上弛緩しているんじゃないか、緩んでいるんじゃないかという御指摘はある意味合っていると思います。
ただし、五号、六号、特定しない場合もあり得るけれども、四号に匹敵する程度の確実性、積極性を要求するということで、四号との同等の当罰性は確保していくべきではないでしょうか。確かに、五号、六号で必ずその車を妨害しようというところまでは要求していませんし、要求できないのでしょうけれども、四号に匹敵するほどの具体性といいますか切迫性、これを要求することで同等性は運用上確保していくべき。その意味で、今の御指摘はやっぱり記憶にとどめておくべき御指摘だと私は感じました。
○山添拓君 これも今井参考人、松原参考人に伺います。
現行法の二条一号はアルコールや薬物で正常な運転が困難な状態で運転する行為です。四号は危険な速度で運転する行為。五号は赤信号を殊更無視して危険な速度で運転する行為。行為それ自体が危険性を伴う、まさに危険運転と呼べるものかと思います。
これに対して、今回追加される二つの行為類型は停止又は徐行による後続車への接近でありますので、行為そのものの危険性は現行法に定めるほかの類型とは質的に異なるように思います。停止や徐行それ自体というよりも、後続車の速度を利用することで危険を生じる、あるいは危険を増大させる実行行為とされています。
法制審の議論では、他人に何かをさせることを実行行為の内容とするものとして強要罪が例に挙げられておりますけれども、それとも少し違うように私は感じます。被害者や第三者の行為を利用することをこの実行行為に組み込むということについて、その適用や立証上の問題も含めて御意見を伺いたいと思います。
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。大変重要な御質問だと思います。
先ほどこれも申し上げましたが、五号、六号というのは、行為者がどういう行為をするか、場面が設定されています。広く言えば公道でございますけれども、御存じのように、公道は許可がなければ通行できないものであります。免許を持った人々がルールを守って走行すべきところに例えば五号のような行為をしますと、その狙われた、ターゲットとされた被害車両との関係では、現行の四号に相当する危険性が認識できると私も思います。
また、六号については、先ほど来話がありましたけれども、高速道路等でございますので、より明確に、相手を使うという意味ではなく、狙った相手に被害を加えるという状況が十分発生できる状況でございます。ですから、それを、実行行為という概念を使いますと、これ、私自身、これも白地手形だと、マジックワードだと思っているんですが、余りそういう概念を使うわけではなく、客観的に、どのような場面でどのような被害が想定されるときにそれを行おうとしたか、あるいは広い意味では不作為になるのかもしれませんけれども、そこを考えると、五号、六号の行為は、行為者自身の行為に着目しても四号に匹敵するものだと思います。
ただ、先生がおっしゃったように、立証の問題等につきましては、ここでこれまで議論されている問題が残りますので、どのようにして、さっき私が言った例でも、停車していたときにぼうっとしているときに突っ込まれたというふうな弁解もあり得ます。そうではないんだということをするためには、もう少し科学的な捜査の仕組みを考える必要があろうかと思っております。
○参考人(松原芳博君) 山添議員の問題にされた指摘は、私がさっき五号、六号で運転に限る必要があるのかと申し上げたのは、実は同じ疑問持っていて、周りの環境で起きる犯罪についてどこまでここに違和感なく入れることができるのかなというところに、最終的には入れていいと考えましたが、ちょっと私も考えるべき点だとは思っておりました。
その上で、他人の行為を利用する犯罪はやっぱり例外でなければならない、にもかかわらず、ここでなぜそのような方式が許されるかといいますと、まず、今井参考人の言われたように、場所が限定されているということ、それから、相手方の行為が言わば自動的に流れている、つまり、相手がその後決意をしてどうのこうのじゃなくて、既に危険速度で走行しているという自動的な相手の行動を利用するということで、通常の場合とは異なり、他人の行動を利用する実行行為もここでは認められていいのかなというふうに私は感じました。
とはいえ、立証の問題で、これ先ほどから申し上げましているとおり、前の経緯から見ていかないと分からない点があるので、この立証の問題、やっぱり今後少し丁寧に考えていかなければならないなと思っております。
○山添拓君 大変参考になりました。ありがとうございました。
終わります。