2022年・第208通常国会
- 2022年6月13日
- 本会議
本会議で、刑法等改正案に反対の討論を行いました。
○山添拓君 日本共産党を代表し、刑法等改正案及び関連法案に反対の討論を行います。
法案に先立ち、名古屋入管でスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった事件について述べます。
遺族が国家賠償を求めた訴訟の初弁論が開かれました。妹のワヨミさんは、意見陳述で、裁判官と全ての日本市民は少しでも早く姉のビデオを見てください、こんな悲しい思いは姉と私たち家族だけで最後にしてほしいと訴えました。この声に応え、映像記録を始め、看守勤務日誌や被収容者診療録、診療簿、拒食者報告など、開示を拒んでいる資料を広く開示し、事件の真相と責任の所在を明らかにするべきです。
野党五会派が本院に共同提出した法案を直ちに審議し、国際水準に見合う入管難民行政へ抜本的に転換するよう強く求めます。
以下、刑法等改正案の反対理由を述べます。
本法案は、SNSなどインターネット上の誹謗中傷が社会問題化する中、侮辱罪の法定刑に一年以下の懲役、禁錮、三十万円以下の罰金を追加しようとするものです。これは、実効性ある対処、対策と言えるでしょうか。
衆議院の参考人質疑で、木村花さんの母、響子さんは、必ずしも実名でSNSをやる必要はないが、問題のある発言をしたときには特定できるよう考えてほしいと述べました。大量の投稿が短時間になされ、相互のあおり効果で炎上しやすい、匿名で行うことができ過激化しやすいなど、ネット上の誹謗中傷の特質に応じた対策が必要です。
発信者情報を特定する裁判手続の簡素化が始まりました。プロバイダーに発信者情報の保存を義務付ける対策なども必要です。こうした法整備の効果も踏まえ、ネット空間を安心して利用できるよう多面的に民事的救済を充実させるべきです。
一方、国連の自由権規約委員会は、表現の自由は人権の促進と保護に不可欠だという認識の上に、刑事責任の追及をなるべく避けるよう求め、刑罰を科す場合も身体の拘束を伴う刑は適切でないとしています。ところが、法務省や外務省は、国連がこうした勧告を出すに至った経緯はつまびらかでない、法的拘束力はないなどと言うばかりでした。
アメリカやイギリス、フランスなどで、非犯罪化や拘禁刑を削除する法改正が進んでいます。しかし、法制審では、日本でどうすべきか、まともな議論は行われず、僅か二回で結論に至りました。拙速と言うほかありません。
法定刑引上げにより、逮捕、勾留できる場合が拡大します。法務省、警察庁の政府統一見解は、侮辱罪による現行犯逮捕について、表現の自由の重要性に配慮しつつ、慎重な運用がなされるとしていますが、逮捕するかどうかの最終的な判断は現場の捜査官次第です。
安倍元首相の街頭演説で起きた北海道警やじ排除事件は、主催者からの要請もないのに現場の警察官が判断し、言葉を発して十秒程度で市民二人を実力で排除したものです。警察庁はトラブル防止のためだったと強弁しますが、実際には排除ありきの対応であり、表現の自由や政治的言論への配慮は見えません。
国家公安委員長は、道警の対応を違法とした札幌地裁判決を読んでいないと言いながら、道警の対応は適切だった、言論の自由を圧迫するものではないと繰り返しました。時の首相や政権への異論や批判を封じた事実を直視せず、その反省もないままに、侮辱罪について、慎重な運用、想定されないと述べても、何の説得力もありません。
侮辱罪の起訴人数は年間三十件程度で推移してきました。言論法研究の山田健太参考人が述べたように、そもそも侮辱の定義が曖昧で恣意的な権力行使が可能であり、法定刑が軽いこともあって公権力の行使が抑制されてきたからです。大臣は、法定刑を引き上げるだけで侮辱の定義は変わらないと言いますが、曖昧な定義のまま厳罰化することが問題です。
大臣はまた、政治的な言論、表現は刑法三十五条の正当行為として違法性が否定され得ると言います。しかし、侮辱罪が正当行為を理由に無罪となった裁判例は確認できません。法務省は、いかなる場合が正当行為に当たるか、確定的な答えは困難だと言い、懸念は拭えません。
仮に現行犯逮捕などが起きれば、起訴されなくても、自由な言論、表現への重大な脅威となり、回復し難い萎縮効果が生じます。侮辱罪の法定刑引上げはやめるべきです。
本法案は、現行の懲役刑と禁錮刑を廃止し、新たに拘禁刑を創設します。拘禁刑という名称は、身体拘束のみを内容とする刑罰への変更であるかのように聞こえます。しかし、実態は、身体拘束に加えて刑務作業を義務付ける懲役刑への一本化であり、かつ、新たに改善更生や再犯防止の指導も義務付けようとするものです。
国連が被拘禁者処遇の最低基準を示したマンデラ・ルールズは、拘禁刑とは自由の剥奪であり、原則として、それ以上に苦痛を増大させてはならないとしています。改善更生や社会復帰という名で様々に受刑者に強制した時代があったからにほかなりません。
戦前の日本では、治安維持法や思想犯保護観察法の下で、社会主義者や国民主権を求める運動が弾圧され、拷問や虐待だけでなく、再犯防止、再教育の名で転向を促す思想改造まで行われました。いかなる政府の下でも特定の思想を強制することがあってはならず、法律上、その懸念を残すべきではありません。
二十一世紀の日本で、刑務官が受刑者の肛門に消防用ホースで放水して傷害を負わせ、直腸破裂で死亡させた事件、腹部を革手錠で締め付け、受刑者が死亡した事件など、一連の名古屋刑務所事件が起きました。その反省の下に出された二〇〇三年の行刑改革会議の提言は、受刑者が自発的、自律的に改善更生及び社会復帰の意欲を持つことが大切であり、受刑者の処遇も、この誇りや自信、意欲を導き出すことを十分に意識したものでなければならないとしています。ここに立ち返るべきです。作業や指導を義務付け、懲罰を背景に強制することは、受刑者の人間性を軽視することにつながりかねません。
大臣は、作業や指導を義務付けることができないとすれば改善更生や再犯防止のための働きかけを行うことができなくなると言います。しかし、受刑者が指導を拒否して改善更生を図れなかったケースがどのぐらいあるのか把握すらされていません。現場の職員は、カウンセリングの技法も用いながら粘り強く働きかけ、本人の意思に基づく社会復帰への取組を促しています。懲罰で強制するべきではありません。
刑事政策学者の石塚伸一参考人は、受刑者の処遇は、その自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うという刑事収容施設被収容者処遇法三十条の意義を強調しました。刑務作業も改善更生も、あくまで受刑者の自覚に基づき、その希望を踏まえて行うべきであり、そうでなければ効果的でもありません。
日本共産党は、侮辱罪の法定刑引上げを行わず、拘禁刑は文字どおり自由の剥奪のみを内容とすること、刑務作業は受刑者の希望によることとし、刑事施設にはその機会を提供する責任があることなどを定めた修正案を提出しました。
表現の自由を最大限尊重し、受刑者の自発性、自律性、尊厳を尊重する国際的な人権保障の動向に沿った刑事法制が求められていることを重ねて指摘し、討論といたします。(拍手)